だいの窪

神奈川県茅ヶ崎市


菱沼と室田の境に手白塚があり、その東北側に「だいの窪」という大きな窪地があった。昔、怪人の歩いた足跡だといい、藤沢の二ッ谷にもあって、それを右足、菱沼のほうは左足だといった。踵の跡だけで一八〇坪もあったが、ちゃんと足の格好をしていた。

また、藤沢の折戸に左足、大磯のほうに右足の跡があるともいった。折戸のほうは二つ三つも歩いた跡があるようでもあった。富士山を造ろうと土を箱根まで担いできたけど、重くておんまけちゃったのが二子山だといった。

『茅ヶ崎の伝説』
郷土史研究グループ「あしかび」
(茅ヶ崎市教育委員会)より要約

追記

菱沼と下寺尾で語られたいくつかの話をまとめて要約した。呼び名はデエラボッチ・デエノボッチ・ダイラボッチなど色々にある。ともあれ、高座地域では相模原のほうに色濃く、座間海老名綾瀬あたりでまったく語られなかった巨人の話が、こうして南に来るとまた語られるのではある。

茅ヶ崎市域での話は(二子山はさておき)概ね上のように窪地を足跡といい、相模原市域の話(「ダイラボツチの足跡」)と似たものといえるだろうか。どこもバイパスやゴルフ場でもうよくわからないが。茅ヶ崎市内に塚はたくさんあったが、これが巨人の造営と語るものはひとつもない。

これが藤沢市のほうはというと、折戸あたりの話は見ないのだが、他にある話だと、凹地のことをいわないで、凸地のことを語っていた(「デーラボッチ」)。例が少ないので傾向とまではいえないが。

また、足跡のほうで興味深いのは、東の藤沢市折戸・二ッ谷を先にいい、西の菱沼(ないし大磯)を後にいうことだ。どうやら、巨人は富士山を造る土を東から運んできたらしい(寒川では普通に西から来ていた「デェダラボッチ」)。この点は少し気にしておきたい。

ところで、茅ヶ崎市では芹沢のほうに、珍しくダイダラボッチを人喰いといっている事例が見える(「ダイダラボッチ」)。たまたまかもしれないが、天邪鬼との関係もあるので、目を通しておきたい。