デーラボッチ

神奈川県藤沢市


この辺では、ちょっと高いところはデーラボッチが担いできた土をおんまけたところだとよく言った。どこがそうというのでもないが、高いところはみんなそうだと言った。(石川 男 明治35年生)

昔の人はよくデーラボッチといった。土を担いできて富士山に腰掛け、立とうとしたらもっこの紐が切れた。それで土をおんまけてできたのが箱根の二子山だなどと言った。(獺郷 男 明治37年生)

『藤沢の民話 第三集』
(藤沢市教育文化研究所)より要約

追記

藤沢市では、辻堂の方の折戸に巨人の足跡の窪地があったというが、それは茅ヶ崎のほうの人がいう(「だいの窪」)。こちらのほうでは、凸地形を巨人に結びつけ、凹地の話がない。

事例が少ないのでたまたまかもしれないが、少なくとも、ちょっと高いところはみなデーラボッチの土だ、などとは茅ヶ崎や相模原のほうではいわない。もし実際にそのような傾向が考えられるとしたら、興味深いところかもしれない。