神奈川県

2018.10.06


龍ヶ谷池
神奈川県川崎市麻生区

昔、早野に父娘がおり、娘は働き者の器量良しだった。この娘がある日、山でヘビがウサギを呑もうとしているのを見て、自分をあげるからウサギを助けてやってくれと頼んだ。また一方、父親の方も畑でカエルがヘビに呑まれそうになっているのを見て、娘を嫁にやることを約束し、カエルを助けた。

父はヘビのいうこと、とタカをくくっていたが、その晩、約束のものをもらいに来た、といって若い男が来た。父は驚いて娘を納戸に隠し、準備もあるから七日待ってくれ、と若者に帰ってもらった。七日たち、戸を叩く音に父が出ると、そこには龍が立っていた……

この記事へ…

神奈川県の竜蛇伝承一覧

横浜市

二ツ池の竜
神奈川県横浜市鶴見区:池の竜神が人身御供の娘をとっていたが、娘の恋人の熊使いが十頭の熊を使役し闘い、竜の死体が池を二分する堤となった。これが二ツ池である。

三ツ池竜神
神奈川県横浜市鶴見区:三ツ池にはたびたび大蛇が現れ、毒気に当てられた人の話などがあった。昭和のはじめに子安町の先達がこの大蛇を鎮めたという。

道念稲荷と蛇も蚊も祭り
神奈川県横浜市鶴見区:毎年六月に行われる生麦の蛇も蚊も祭りは、道念稲荷を建てた道念和尚によるというが、大蛇に襲われた男が菖蒲や萱によって蛇を除けたことによるともいう。

練り廻る茅の大蛇
神奈川県横浜市鶴見区:生麦の神明宮の祭は六月六日で、茅で作られた五六丈もある大蛇が町を回る。これが厄を払い、土地には悪病が流行ることがなかったという。

蟠まる魔除の大蛇
神奈川県横浜市鶴見区:悪疫流行の難に際し、村人は北寺尾の山のヌシの大蛇にその退散を願った。以来、村境にしめ縄を渡し、端を蛇の頭に作る。

山神と祭られし大蛇
神奈川県横浜市鶴見区:湿地の大蛇に難儀する村人のために、里正は大蛇に語りかけた。大蛇は山神と祀ろうという里正の前に畏まり、里の氏神と祀られることになった。

デイラボッチ
神奈川県横浜市鶴見区:東高校近くにあった窪地はデイダラボッチと呼ばれたが、富士山や箱根の二子山を造った大男の足跡であったという。

白旗飛来
神奈川県横浜市神奈川区:石橋山合戦の時、一流の白旗が飛来し、源氏松に掛かったのだという。これは頼朝の世となる前兆だと人々は噂したが、果たしてそうなり、村を白幡村というようになった。

上無川の片目の鰌
神奈川県横浜市神奈川区:上無川には片目の鰌がいたという。昔眼病をもたらした天王を流した代わりに拾われた神面を祀った神面社があったが、片目の鰌はこれに由来するのだという。

能満寺の本尊
神奈川県横浜市神奈川区:能満寺の虚空蔵菩薩像は、海より流れ来た朽木であった。これを拾った百姓の娘が、海上を駆け、霊木を供養するよう語ったので、建立された堂であったという。

三宝寺の白蛇弁天
神奈川県横浜市神奈川区:三宝寺住持の夢に弁天の化身が現れ、我が姿を現そうと告げた。探すと胸の上に光る白蛇がおり、宝塔に安置された。

雲松院の龍蛇塚
神奈川県横浜市神奈川区:笠原越後守信為が寺を建てようと山中を検分すると大蛇が臥していた。五世宗頓和尚も大蛇を見、蛇に仏法を与えたという。

琵琶橋と蛇骨神社・部分
神奈川県横浜市神奈川区:大蛇が討伐されたが、村人らが熱病を患った。これを蛇の祟りとして、蛇骨神社は祀られた。また、大蛇を討った矢を土地境としたものだともいう。

蛇骨神社
神奈川県横浜市神奈川区:岸根村の蛇骨神社は殺した蛇を祀ったものとも、丈量の縄を埋めたところともいう。また、社宮司とも蛇苦止明神とも呼ばれたという。

後に残る狐の舌
神奈川県横浜市西区:子狐を捕えて狐汁とし、福の神だといわれる子狐の舌を干物にしてしまったが、母狐の祟りで家が傾いていった。行者に狐の祟りを教えられ、子狐の舌を稲荷明神と祀った。

麻の葉に目を失いし神
神奈川県横浜市西区:戸部杉山神社の神は、麻で片目を潰した。故に氏子も麻を忌む。またこれに因んで、豆殻で片目の蛇を作り、小池で水をかける儀式を行っていたのだという。

小湊弁天
神奈川県横浜市中区:小湊橋の側にある弁天さんは、開港前は北方の山上にあった。遷すと、白蛇がやってきて、元の所に戻りたいと告げたという。埋め立て前の海岸にあった蛇の頭の形をした弁天鼻に祀られたこともあった。

洲干弁天社の蛇
神奈川県横浜市中区:羽衣町の弁天は、かつて洲干島にあり、人が放つので、蛇たちの楽園になっていた。両頭の蛇や、幾百年の大蛇がいたなどという。羽衣町に遷す際も、宮の屋根に何百という蛇がいた。

洲干弁天の松の祟り
神奈川県横浜市中区:洲干弁天の森の名残の松があったが、伐ろうとしたところ障り、斧を立てた人足がみな死んだという。その松は、弁天が羽衣をかける松であったという。

真二つにされた大蛇を祀った話
神奈川県横浜市保土ヶ谷区:昔、白根にいた大蛇が鉄砲で撃たれ真二つになったのを川島と白根で祀ったのだという。真二つに撃たれたのは猪子山にいた大蛇で、川島と新井で祀ったともいう。

欅に祀る源龍大善神
神奈川県横浜市保土ヶ谷区:樹源寺の大欅に棲むという白蛇が病身の日建上人の夢に現れ、源龍大善神と祀るよう言った。そのようにすると上人は忽ちに快癒したのだという。

正観寺の弁天
神奈川県横浜市保土ヶ谷区:正観寺の弁天の穴は埋もれてしまっていたが、村人らの夢に大蛇が出て掘ってくれと頼んだ。これを契機に寺も再建された。

杉山神社跡
神奈川県横浜市磯子区:頼朝が鎌倉幕府を開いた折に、その鬼門除けに弁財天を七ヵ所に祀ったのが七杉山神社であり、岡村にあった杉山神社には当社がそのひとつであるという伝があった。

白山神社
神奈川県横浜市磯子区:白山神社の楊子は歯痛をなおすといわれ、以前は楊子や歯ブラシがいつもあがっていた。社は蛇を祀るといい、卵をあげる人もあった。境内の大松のほら穴に蛇がいたという。

伊勢宮の雨蛇と烏
神奈川県横浜市磯子区:磯子後背の山に伊勢宮があり、老松にお使いといわれる大きな耳のある蛇がいた。この蛇が鳴くと雨だといい、雨蛇といった。その老松もある年の落雷で裂け、蛇も斃れたという。

所在を変ずる石の怪
神奈川県横浜市磯子区:護念寺の竹藪に時により所を変え障る霊石があった。傍らにはツト蛇という、長さが三尺なのに胴周りが一尺もある蛇が棲んだというが、夏島の主だといった。

磯子の巨人譚
神奈川県横浜市磯子区:真照寺裏山が禿山なのは、ダイダラボッチが腰を落としたからだという。それで、苗木を植えても育たないといった。巨人は、海岸の岩を一蹴りして安房に行ったという。

夢に現ずる江の島の龍
神奈川県横浜市磯子区:金沢北條を守護していた龍が、供養を求めて磯子に祀られた。龍は龍口山の悪龍の眷属であると名乗ったという。

山田の妙見様
神奈川県横浜市港北区:新羽には色々の大蛇の話があった。山田の妙見さんは蛇を祀るといい、ヤマタのオロチといった。池ノ谷の池で大蛇を見た人もいる。杉山社の上の原で見たという人もいる。

まさかりが淵
神奈川県横浜市戸塚区:滝に行って帰らなかった木こりが、三年経った法要の日に帰ってきた。聞くと、滝壺にまさかりを落とし、その底にいた機織り娘に拾ってもらったのだという。

白神社
神奈川県横浜市戸塚区:昔、白い蛇が現れ神様の使いと大切にされた。土地で神社を建てることになり、祭神をどうするか悩んだ末、その白蛇を祭ることにした。

影取池
神奈川県横浜市戸塚区:藤沢の大鋸の森という家の大蛇「おはん」が東はずれの池に捨てられた。この蛇が水面に映る人の影を取るようになり、撃たれた。それで影取池という。

鰻の井戸
神奈川県横浜市港南区:病の実時が那智山の如意輪観音に祈念し、金沢の北西に二尾の鰻の住む霊水の井があることを示された。使者が赴くと確かにその井があり、この水を服して実時は全快した。

でいだらぼっちの足跡
神奈川県横浜市港南区:天谷の鎌倉道沿いの飛び田は、でいだらぼっちという巨人の足跡だといった。巨人は尼将軍に追われてくそを垂れ、くそ山という山もある。

安房洲明神の神宝蛇骨
神奈川県横浜市港南区:昔、天地海が鳴動して、安房の洲崎明神が笹下に飛来された。後年、間宮信光が大坂の陣に赴き危うくなったとき、明神の巨蛇が身代わりとなって信光を助けたという。

古河谷戸の大蛇
神奈川県横浜市旭区:女房を大蛇に呑まれた人が、鉄砲の名人治平に大蛇退治を頼み、治平は死闘の末大蛇を仕留めた。大蛇の死骸は二分され、頭は川島に、胴はさかい谷戸に葬られた。

白根不動の龍
神奈川県横浜市旭区:白根不動が池で囲まれていた頃、龍が峯の円海山からやってきてジュンサイを食った。その行き来が度々人を驚かせたという。

蛇塚
神奈川県横浜市旭区:明治の初め二俣川大池の大蛇が白布で担がれ白根不動に運び込まれ、さるすべりの木の下に埋められた。「妙法蛇之塚」と刻まれた碑がある。

堂谷戸の大蛇
神奈川県横浜市旭区:こえ桶を洗いに行った人が、丸太と思って乗ったものが大蛇であった。六角橋の大池の大蛇が堂谷戸の池に来ていたようで、両池には弁天がなかったので大蛇が行き来したのだ。

霧ヶ池のぬし
神奈川県横浜市緑区:霧ヶ池の雌大蛇が祠を建ててほしいと頼んだが、建てると江戸の洗足池に去ってしまった。洗足池の雄大蛇のところへ行き来していたともいう。

霧ヶ池
神奈川県横浜市緑区:霧ヶ池の水は涸れることがなく、日照りには雨乞いが行われた。明和七年の雨乞いのときには蛇が現れ大雨が降ったという。

善光寺谷に消えた仏さま
神奈川県横浜市瀬谷区:諏訪大社に仕える二匹の蛇が一遍上人の供をして阿久和に来た。しかし、一匹は旅の疲れで死んでしまい、哀れんだ上人はそこに善光寺を建てた。

鎌取池
神奈川県横浜市瀬谷区:鎌取池には大蛇の主がいた。ある人が草刈りに行くと、離れた松の下に美女がおり、見惚れているうちに手にしていた鎌がなくなっていたという。

鎌取池の蜘蛛
神奈川県横浜市瀬谷区:草刈りに行った農夫の鎌にくもが糸を巻きつけた。糸を大松に掛け替えると、松は音もなく倒れたという。それで鎌を投げ捨て帰ったので、鎌取池という。

大道
神奈川県横浜市栄区:昔大池があり、大蛇がいた。人を呑んだが、ある呑まれた武士があきらめず大蛇の腹を断ち切った。それで平和になり大道というようになった。

領家
神奈川県横浜市泉区:岡津城主の愛妾が島田の塚でお産をした。竜が出てきて火を吹いて灯にしてくれ、無事出産できたのだという。この胞衣を埋め塚にしたといい、付近を竜花といった。

劔社
神奈川県横浜市青葉区:陸奥から通っていた炭売りが、鎌倉の鍛冶に刀をもらった。その刀が炭焼きを襲った大蛇を自ら斬り助けた。この刀を祀ったのが劔明神である。

先祖のシロヘビ
神奈川県横浜市都筑区:折本の家で祀る弁天は、行者にいわれ先祖のシロヘビを祀ったものだ。このヘビが家の周りをまわっていたので、よくないことが起こっていた。

妙見山の神池
神奈川県横浜市都筑区:お諏訪が原にはお諏訪様の神蛇が棲むといわれた。諏訪神社が妙見山に合祀された際、神官の夢枕に神蛇が出て、妙見山に棲む池を作ってくれといった。

川崎市

弁天社の御神体
神奈川県川崎市川崎区:旧家の娘が年頃に労咳を患い治らなかった。娘がせがんで祀られた弁天があったが、娘亡き後家は傾き、荒れ放題となった。それで弁天の白蛇が一族の各家に出たという。

古池の怪
神奈川県川崎市川崎区:森家に古池があり、そこから千束の大池への大蛇の嫁入りが見られたり、池の水を引くと竜神が怒るなどした。池の蛇は刃物を嫌い、草など刈ると熱病にかかったという。

竜神が淵
神奈川県川崎市川崎区:城ヶ島の竜神の淵におせんという娘が落ち死んだが、母の願いで生き返った。しかし、江戸に嫁入りの話が出ると、竜神が娘の乗る船を沈めたという。

味の素に蛇を買ってもらう
神奈川県川崎市川崎区:味の素の工場ができた頃、味の素は蛇から作っているのだ、というデマが広まった。それで、まわりの人はあたりの蛇を捕まえ、買ってもらおうと味の素の工場へ行ったものだった。

竜灯観音
神奈川県川崎市幸区:小倉池に鉈を落としたみそね家の爺が池底の竜宮に至り、行方不明になっていた家の嫁が機を織っているのに会った。嫁は、このことを他言しないよういい、爺に玉手箱を渡した。

宮司の葬儀に白い蛇が姿を見せる
神奈川県川崎市中原区:日枝神社の先代宮司の葬式の時、神社の境内に白い蛇が出たのを子どもらが見たようだ。蛇は本殿から御神木の大杉へ行ったという。大杉にはお宮の守り神の蛇が棲むといわれた。

毘沙門天の大銀杏
神奈川県川崎市中原区:毘沙門祠の大銀杏には祠の主という白い大蛇がおり、多摩川の洪水のときには、水の中を泳ぎ回りこれを防いだという。

諏訪社の御神体
神奈川県川崎市中原区:夕立ちで矢上川があふれた時、江戸屋の先祖が諏訪社を守ろうとしたが大水を渡れなかった。そのとき諏訪の大蛇が丸太となって先祖を渡したという。

ピカピカの蛇を見て金が入る
神奈川県川崎市高津区:ピカピカ光る蛇が出ていたのでお金が入るのかと思っていたら、主人が職を辞めることになって、本当にお金が入った。

綱下げ松
神奈川県川崎市高津区:文政の多摩川の洪水のとき、丘上の老松から白い布の綱が下がり、流れる人々を助けた。布と思われたのは白蛇で、皆は松寿弁財天を建て感謝した。

松寿弁財天
神奈川県川崎市高津区:夜木戸を叩いて蚕室からの火事を知らせた者がいた。翌朝蚕室には焼け死んだ白蛇がおり、松寿弁天が知らせ守ってくれたのだと信仰された。

池の谷戸の話
神奈川県川崎市高津区:池の谷戸の大蛇が近くの家の軒下で美女となって寝ていたそうな。子どもらが嬲り殺した小蛇が大おろちだったことがあったが、祟りを恐れ小祠が祀られたという。

お千代の池
神奈川県川崎市高津区:弁天様に願を掛けて授かった娘が、成長したのち弁天の池に飛び込んで大蛇となってしまった。その命日には赤飯を池に入れるという。

しばられ松
神奈川県川崎市高津区:しばられ松は行き倒れの六部を葬ったところというが、この松が夜になると蛇になってあたりを荒らすので縛ったのだという。

お諏訪様の白蛇
神奈川県川崎市多摩区:長沢に夜逃げをしようという夫婦がいたが、諏訪社のところで白蛇に邪魔されて進めなかった。これは神のお告げと夫婦は戻り、それからはとんとん拍子に家運が開けたという。

子供の寿命
神奈川県川崎市多摩区:乞食が諏訪社である家に生まれた子が七つで水で死ぬと聞いた。それで忠告し、家でも注意していたが、子は七つのある日、桶の水に首を突っ込んで死んでしまったという。

土橋の茶筅松
神奈川県川崎市宮前区:土橋に茶筅松という大きな黒松があった。頼朝が茶筅に用いた松の葉が茶筅松になったなどという。茶筅松には主の龍がおり、影取り池に水を飲みに通ったそうだ。

大蛇をまたいだ話
神奈川県川崎市宮前区:初山の池のふちに倒れていた大松が、長谷戸の方へ引きずったような跡を残して消えた。松と思ったのは大蛇であったという。

池の主
神奈川県川崎市宮前区:山田の観音寺の池の白蛇が恐れられ、住職に池を埋められてしまった。白蛇は住職に障ったが、同時に野川の八幡に異変があり、観音寺の池の主が来たのかと騒ぎになった。

有馬の影取り池
神奈川県川崎市宮前区:有馬の池の大蛇が影を映した人を引いた。娘おせんを呑まれた土地の大尽は、村人を集めて池を埋めることにした。後、裏山からは大蛇の白骨が見つかったという。

龍ヶ谷池
神奈川県川崎市麻生区:蛇に呑まれる兎を自分が嫁になるからと助けた娘があった。娘はそれで蛇(龍)の嫁に取られそうになったが、兎たちが龍と戦い、これを倒して娘を助けた。

相模原市


神奈川県相模原市緑区:ヤマカガシは昇天してしまうので、その脱殻を見たものがない。青大将を春初めて見ると、その年は眠いなどの話がある。

ハト川はハタ川
神奈川県相模原市緑区:鳩川はもと旗川といった。昔、天より旗が舞い降りたのだという。その旗は日向薬師に奉納されたそうな。

相原のでいらぼっち伝説
神奈川県相模原市緑区:相原の力自慢の相撲取りが大山の相撲に出たが、最後にでいらぼっちが出てきて勝負にならず負けたという。このでいらぼっちが相原の方へきて残した足跡「でいら窪」がある。

デーラサマの山造り
神奈川県相模原市緑区:昔、デーラサマという大男が富士山を運んで来たが、その富士山の頭が切れ飛んで落ちたのが城山で、中腹の木のないところが藤づるでしばった痕だといった。

大山森
神奈川県相模原市緑区:石老山一帯と伊勢原の大山のどちらを大山とするかの争いがあった。あまのじゃくの妨げがあって伊勢原が大山となったが、それでこちらにも大山森の小字がある。

月読様が口を聞いたと言う話
神奈川県相模原市緑区:月読神社に泊まった山伏が、部落に生まれる子が十六で蛇にかまれて終わる、という声を聞いた。山伏は、その子を見守るため、部落に落ち着いた。

諏訪神社のお祭の日
神奈川県相模原市緑区:上野原諏訪神社のお祭・八月十九日の前の十七日のおいばなの晩は、親を亡くした人は家にいてはいけないといった。ある娘が聞かずにいたところ、機や自在鉤に蛇がからみついたという。

赤穂馬大通寺の昔話
神奈川県相模原市緑区:大通寺に、甲州御嶽へ行くという娘が泊まった。夜中の鼾に住職が覗くと、娘は大蛇の姿となって寝ていたという。この娘が朝洗面をした大蛇の井戸というのがあった。

上り竜下り竜
神奈川県相模原市緑区:北の雷岩から出た大きな雷雲から、大杉を伝って御嶽祠に白いものが下った。雷鳴が納まるころ、今度はそれが上ったが、それが竜であったのだという。

鹿と大蛇
神奈川県相模原市緑区:大鹿を仕留めた猟師が、鹿を追っていた大蛇と遭遇した。なんとか大蛇を撃ったが、帰ると女房が撃たれ死んでいた。

鷹取山の大蛇
神奈川県相模原市緑区:鷹取山に鉄砲うちに行った人が、夕陽にコケラを光らせる大蛇を見、一週間も寝込んだという。

ムジナ穴の大蛇
神奈川県相模原市緑区:夫婦岩にはムジナ穴という八畳敷ほどの穴があった。ある春、この穴で大蛇を見た人がいたが、逃げ帰った後、死んでしまったという。

おかねばあさんと大蛇
神奈川県相模原市緑区:遠路八王子へ向かうおばあさんが、一休みしようと腰掛けた松は大蛇だった。逃げ帰った婆さんは程なく亡くなったという。

外の御前の白蛇の話
神奈川県相模原市緑区:森下にあった外の御前社の一部が、夜毎に持ち去られるようになった。番を立てると、大きな白蛇が部材を咥えて行くのだと分かった。

おひの森の大ひのきの話
神奈川県相模原市緑区:おひの森の大檜・おひのきが祟るので厄除け祈願をしたところ、落雷が檜を焼け落とした。その根の空洞からは大蛇の白骨が見つかったという。

魔性と契った祢宜の娘の話
神奈川県相模原市緑区:大島の石盾尾神社の祢宜の娘に男が通った。しかし、母が男の正体を針糸で探ると、その正体は大蛇であり、娘は蛇の子を身籠っていることがわかった。

市兵衛同心の話
神奈川県相模原市緑区:小倉山の市兵衛同心という仙人が大島に山の獲物など交換に来たが、それは市兵衛が助けた大蛇が獲ってくるものなのだという。

池の坪の竜神
神奈川県相模原市緑区:池の坪には竜神の棲む池があったが、小便柄杓で池の水を汲んだ百姓に怒って竜神は去り、池の水も涸れてしまった。

水神様の雨乞い
神奈川県相模原市緑区:猛暑から日照りとなり、一帯を挙げての雨乞いが水神の渕で行われることになった。渕には江の島に通じる横穴があり、二尋も三尋もある主がいると恐れられていた。

森戸を救った八幡様の大蛇の話
神奈川県相模原市緑区:八幡さまの池の大蛇が森戸中を這いまわりはじめ、異変の知らせだと恐れられ、間もなく関東大震災がおこった。

弁天さまにまつわる不思議な話
神奈川県相模原市緑区:中野神社の脇の弁天さまはさわると祟るという。苦労して成功した新兵衛という人がこの弁天さまを修繕したところ、新兵衛は病となり死んでしまった。

大杉に伝わる話
神奈川県相模原市緑区:青根のお諏訪様の大杉には、尾が二つある白蛇が棲む。昔、子どもらが石を投げつけ白蛇は片目となり、それ以来村の人々は片目が小さいという。

大滝と雨乞い
神奈川県相模原市緑区:鳥屋の山奥に幻の大滝がある。ある夏の日照りの時、この滝にわらじと馬の骨を投げ込むと雨が降った。それより日照りには大滝へ行くようになったという。

天狗坊淵の怪異
神奈川県相模原市緑区:天狗坊淵で鰻捕りを始めた野良坊に大蜘蛛が糸を掛けてきた。捕られた鰻が口をきくなどの怪異もあったという。

葉山島のうなぎの精
神奈川県相模原市緑区:近くに住む権助が、ある時葉山島の淵で大鰻を釣り上げた。すると、崖の上に老婆が現れ、語りかけるのだった。

物いう魚
神奈川県相模原市緑区:昔、相模川の上流の淵で、オトボウという男が大鰻を捕らえた。しかし、担ぎ出せずに川に沈んで死んだという。

村富神社の白蛇伝説
神奈川県相模原市中央区:村富稲荷の前には街道の見通しでもあった大松の古株があった。息をせずに七回りすると白蛇が見えたなどといい、根元の空洞には生卵などが供えられた。

ダイラボツチの足跡
神奈川県相模原市中央区:武相の人がダイラボッチと呼ぶ巨人があった。相模野の大沼は富士山を背負おうとしたダイラボッチが足を踏みしめた跡という。

でいらぼっち伝説
神奈川県相模原市中央区:かつての鹿沼と菖蒲沼は、でいらぼっちという巨人が富士山を背負おうとして踏ん張った足跡であるといった。このとき藤づるを探したがなかったのが、相模野に藤づるがない因縁であるともいう。

小沢城落城悲話
神奈川県相模原市中央区:太田道灌に攻められ小沢城は落ちたが、息女は婚礼の晴着姿で相模川に飛び込み、大蛇と化したという。その呪いがあるため、花嫁は城坂を通らない。

皇武神社のおきぬさま
神奈川県相模原市中央区:皇武神社の氏子の家に、蚕の手伝いに神社の娘が来てくれた。ところが養蚕が終わって神社に送ると、娘は白蛇となって消えたのだった。これがおきぬさまの始まりである。

義博の大蛇退治
神奈川県相模原市中央区:淵野辺にあった龍池にうわばみが棲み、村人に害をなした。鎌倉に訴えたところ、土地を領する淵辺義博が討伐し、大蛇は三つに分断された。これを埋めたところに龍頭寺、龍像寺、龍尾寺が建立された。

翁頭宮
神奈川県相模原市中央区:淵辺判官伊賀守の御城には、淵大水有主神・翁頭宮があったが、これは伊賀守が射た龍であり、三分された龍を埋めたあとに龍首寺龍像寺龍尾寺が建立された。

天野家の伝説
神奈川県相模原市中央区:旧家天野家の先祖は、南北朝の頃主君と意を別にし、従士七人と淵野辺に落ち着いて皆天野を姓とした。そして、沼に棲む大蛇を射たのはこの天野の先祖であったという。

龍像寺再建
神奈川県相模原市中央区:淵辺義博が殺し三分した大蛇を葬った龍像寺は巨海上人により再興した。このとき、上人は淵から大蛇の骨と鏃を見つけたという。

天沼
神奈川県相模原市南区:鹿島台小学校の近くに天沼という湿地があった。ここには大蛇が棲み、美女が通ると沼に引くので、花嫁行列は通ってはいけないといわれた。

東林間のデイラクボ
神奈川県相模原市南区:東林間駅の南に大きな窪みがあり、デイラクボと呼ばれた。デイラさまという大男が何かをまたいだ足跡だという。長雨になると水がたまり、子どもが水浴びできるほどになった。

大角豆を作らない由来
神奈川県相模原市南区:上磯部には大角豆を作らない家があるが、これは昔有鹿の神霊が蛇体となって来たとき、大角豆で眼を突いたからだという。また、眼を突いたのは蛇体となった小沢城の姫であったともいう。

磯部の有鹿さま
神奈川県相模原市南区:勝坂の有鹿さまは美しい姫だったが、相模川対岸の相模太郎という武者が結婚しようと押しかけると、姫は蛇に変化し、七橋で太郎を追い払ったという。

大沼
神奈川県相模原市南区:昔あった大沼池は、日本武尊が火攻めにあったあたりになるという。また、この沼の大蛇を渕辺義博が退治したともいう。

横須賀市

猿島に渡る竜の話
神奈川県横須賀市:三春町の春日神社はもと猿島に祀られていたが、八月の祭りの前後に大蛇が上総の鹿野山から泳いできたという。社が三春町に遷ってからは大蛇も渡らなくなった。

大根石
神奈川県横須賀市:山に大根石という岩肌の露出がある。昔、雄大蛇が住み、房総の雌大蛇に恋して、海に置き石をして渡ろうとしたが、落してしまったのが三つ磯だという。大根石周辺は色々に障る場所で恐れられた。

巨人の足跡
神奈川県横須賀市:巨人デーボコ坊が三浦富士をひとまたぎにして長沢に来た。デーボコ坊は少しためらい踏ん張って房州へ海をひとまたぎにし、その時の足跡だという池があった。

七桶の里
神奈川県横須賀市:与助という漁師が三つ磯に大蛸を見つけ、日に一本ずつその足を切って桶に入れ持ち帰り売った。不漁の中、毎日獲物を売る与助は不思議がられたが、八日目大蛸の最後の足に巻かれ、海に引き込まれてしまった。

蛇のはなし
神奈川県横須賀市:高岩堰に大蛇がおり、蛇枕石という石があった。松の木から蛇が下って水を飲んでいる姿を見たお婆さんが寝込んでしまったなどという話もある。

蛇沼の由来
神奈川県横須賀市:大津四丁目は蛇沼といった。昔は沼が四つあり蛇が多かったからという。「へぶるま」と呼ばれるものが蛇沼にあったともいう。

観音崎の船守観音
神奈川県横須賀市:岬の洞窟の大蛇と鵜の群れが沖行く船を襲っていた。行基菩薩が訪れ話を聞き、大蛇と鵜を退治してくれた。この時彫られた観音像が船守観音と祀られていた。

後家が崎
神奈川県横須賀市:土地の人の返答に感心した行基菩薩が、何か悩みがないか尋ねると、大蛇に困っていると言われた。それで行基は十一面観音を彫り、念を込めて大蛇を封じた。

鍬までのんだ大蛇
神奈川県横須賀市:畑の穴から大蛇が現れ、驚いた男はふづき鍬に野良着を掛け逃げた。すると大蛇は男と思って鍬を呑み込み、のたうちまわって死んでしまった。

鍬呑み大蛇
神奈川県横須賀市:畑に大蛇が現れたが、上衣を掛けた踏鋤鍬を人と思って呑んでしまい死んでしまった。蛇には織物や鍬は禁物なのだ。大蛇の骨は俵が何杯も必要なほどだった。

久留和の大蛇
神奈川県横須賀市:家で祀る若宮にお供えに行く途中、道に大きな蛇が横たわっていた。蛇の邪魔しないよう避けてお供えに行くと、その家はそれからどんどん栄えたという。

鷹取山の蛇
神奈川県横須賀市:鷹取には蛇が多く恐れられていた。獅子頭鼻という岩のある山があるが、その山に赤い大蛇が巻きつくと雨が降るといわれた。今でも鷹取山が低い雨雲に霞むと、すぐに雨が降る。

龍塚
神奈川県横須賀市:享保の頃の旱天で皆困窮していた時、大蛇も水を求めて不動院下に現れたが、力つき死んでしまった。この首を葬ったのが龍塚であるといい、雨乞いも行われた。

朱鶴の穴探検
神奈川県横須賀市:佐島には以前大きな洞窟があった。奥にまで入ると、天井に真っ赤な鳥の描かれた広いところがあった。七不思議のひとつに数えられていた。

平塚市

国府マチ
神奈川県平塚市:平塚の八幡は末っ子で女だったが、戦争に行った。浜に埋けていき、生死を示す柾をとって、印を立てて行ったが、戦争から戻るといきいきしていたという。

あやしい旗
神奈川県平塚市:八菅山の上に長い旗が飛んできて、その鈴が恐ろしい音を立て人を苦しめた。八菅の修験者の祈りで旗は去ったが、善波太郎の弓に射落とされた。

こがの渡し
神奈川県平塚市:道造りを邪魔する大蛇の住処の松を切ってしまうことにした。それで大蛇は慌て泣いて、道造りを手伝うといった。

日本武尊と立石
神奈川県平塚市:相模大山から日本武尊が見た光は、土地の神・日の宮を害し、村を苦しめる大蛇の眼の光だった。

蛇に憑かれる
神奈川県平塚市:蛇に絡まれる夢を見て、覚めても蛇が口の中にいて困ったという話を聞いた。オガミヤに診てもらうと、その口のきつさへの戒めだといわれたという。

蛇を見て幸せになる
神奈川県平塚市:竹藪に捨てられたイチコの中に、何十匹という蛇が固まっていた。そういう蛇を見た人は幸せになるという。

ひょうたん池のはたおり姫
神奈川県平塚市:八幡近くの小池から、月夜に機織りの音が聞こえた。村の若者がその音の先に美しい娘を見、死ぬまで嫁をとらずにその娘との再会を願ったという。

八幡神社の池
神奈川県平塚市:八幡神社の池は、西の池に井戸があり、釣鐘が沈んでいるという。大旱のとき、池を浚うと東西の池から、雌雄の木竜の頭が見つかった。

犬頭神社
神奈川県平塚市:家康の鷹狩で、飼い犬に飛びかかられた家来が犬を殺した。しかし、犬は主人を大蛇から守ろうと飛びかかったのだとわかり、その首を神社に祀った。

検校屋敷の大蛇
神奈川県平塚市:江戸を見たかった箱根の大蛇が、家康のいるところが江戸だ、といわれ中原の御殿に連れて来られた。その後、家康のはからいで、検校屋敷に住んだという。

達上池の主
神奈川県平塚市:タンジョウ池はすり鉢池なので、大勢亡くなっている。それで、河童に引きずり込まれるのだとか、魔性の蛇が高麗山から来るのだなどといわれた。

シャチ
神奈川県平塚市:須賀の漁師が海蛇のようなものを海上で拾った。尾が平たく頭に宝珠のあるそれはシャチ(サチガメ)といい、出会うと吉という。

高麗山のうわばみ
神奈川県平塚市:高麗山の大蛇・うわばみが、花水川の方に下りてくることが度々あった。あるとき、赤めしを供えたところ、それよりは見なくなったという。

奉遷塚と輿道
神奈川県平塚市:八幡の子の若宮が、蛇を集めて国府祭へ行く神輿の渡御を邪魔した。それで若宮は鉾をもった八幡に塚に封じられたという。

鎌倉市

蛇枕
神奈川県鎌倉市:田辺の池中に大蛇が住んでいたといい、蛇が枕にしたという蛇枕様がある。日照りが続くと、この蛇枕様に雨乞いの祈願をした。

深沢の髑髏
神奈川県鎌倉市:延宝三年の洪水で深沢の所々の山が崩れ、三尺ばかりの髑髏があらわれた。歯を一本抜き取り、髑髏は元の所に埋められたが、江の島の縁起に見る大蛇のものか。


神奈川県鎌倉市:蛇は鎌倉の名物というほど多く、色々な蛇がいた。直径二十センチもある大蛇に出会ったという話もままあり、見た人は寝込んだりぶらぶらするようになってしまうものだった。

散在ヶ池の精
神奈川県鎌倉市:散在ヶ池の近くに住む長者が、神に祈って男の子を得た。神は男の子を池に近づけぬよういったが、池に行けぬ子は次第にやつれ、最後の願いと池を見た際、とびこんでしまった。

蟹の宮
神奈川県鎌倉市:材木座の漁師が紫の大蟹をつかまえたが、可哀想になり放した。すると旱の年、漁師の畠にこの蟹が現れ、爪を振って水を撒いてくれるようになった。

水底に光る星月ノ井戸
神奈川県鎌倉市:行基がこの地に至り、井の水底に星が輝いているのを見た。不思議に思い底を浚わせると、黒く輝く不思議な石が上がった。そこが星月ノ井であり、傍には虚空蔵菩薩堂がある。

矢の根井戸
神奈川県鎌倉市:材木座飯島に矢の根井戸・六角井という井戸がある。鎮西八郎為朝が伊豆大島から射た矢が落ちた井戸という。飯島では子が生まれると井戸に矢の根が浮かんぶものだったという。

人丸塚
神奈川県鎌倉市:景清の娘、人丸姫を祀った人丸塚があった。父を弔って生涯を送った姫を葬った塚というが、公卿に裏切られ残念大蛇と化した姫の怨霊をなだめるためのものであったともいう。

主家を守る蛇形ノ井戸
神奈川県鎌倉市:比企谷には一族の娘・若狭局が家宝を抱いて入水した井戸がある。局の怨霊の大蛇が北条政村の娘に祟ったという話もある。

扇ヶ谷の蛇ヶ谷
神奈川県鎌倉市:扇ヶ谷の美しい娘が小蛇についてまわられるようになった。退治しようにも蛇はすぐ隠れかなわず、やがて娘の臥床へ蛇が入り、翌朝娘と蛇は死んでいたという。

西御門の蛇ヶ谷
神奈川県鎌倉市:鶴ヶ岡八幡宮寺の稚児を見染めた娘がいたが、恋破れ病み死んでしまった。稚児のほうは気がふれ、大蛇と話している様子が見られたが、やがて死んでしまった。

名越の蛇ヶ谷
神奈川県鎌倉市:後家が共に暮らす若い男を娘に譲り身を引いたが、嫉妬のあまり手の親指が蛇になってしまった。娘も男も後家もその業の深さに出家したという。

うわばみの黒焼
神奈川県鎌倉市:鶴岡八幡宮が焼けたとき、大銀杏も焼け、棲みついていたうわばみが焼け死んだ。その黒焼きが万病に効くと噂になった。しかし、舐めて死んだという話も聞かれた。

蛇柳
神奈川県鎌倉市:柳原に臥龍梅のような格好の大柳があり、大蛇が棲んでいた。昔盗賊が柳のうろに逃げ込んだが、大蛇に追い出され役人につかまった。それで蛇柳といった。

蛇松
神奈川県鎌倉市:妙法寺の裏山に大老松があった。ある木こりが伐ろうとすると、樹上のうわばみに睨まれ、逃げ帰ったが病んだという。それで松は蛇松と呼ばれた。

柳原の蜘蛛
神奈川県鎌倉市:柳原の池から蜘蛛が出て修験者に糸をかけた。化け物と見抜いた修験者が祈禱すると、池から五色の糸の束が虹のように東の山へかかり、これを伝って大蜘蛛が逃げて行った。

龍と鳩
神奈川県鎌倉市:円覚寺を開いた無学祖元禅師は、宋にいたころ龍と鳩を連れた神人の招きを受けていたという。鎌倉にきて鶴岡八幡の鳩の群を見、神人が八幡であったとさとったと語った。

大鐘まつり
神奈川県鎌倉市:円覚寺の大鐘まつりは六十一年目毎に盛大に行われる。これは出合い祭で、江の島の弁天様が来るという。

乙子童子
神奈川県鎌倉市:建長寺開山の蘭渓禅師は、江の島弁天から乙子童子という守護をつけられていた。乙子童子の正体は数十丈もある大蛇であった。

鱗の小判
神奈川県鎌倉市:極楽寺の切通しの坂の下から駕籠屋の送った女が、建長寺の池で龍へと変じた。和尚は房州に行っていた池の主だという。

鎖大師
神奈川県鎌倉市:手広で弘法大師が護摩を修していると、天女が手伝い、西南の孤島で待つ、といって消えた。それで大師が当地に建立したのが青蓮寺である。

江島弁天と大師さま
神奈川県鎌倉市:弘法大師が手広で修業をしようとしたが、龍がいて青臭くてたまらなかった。それで大師は江の島に龍の住める岩屋を見つけてやり、龍・弁天様はそちらに引っ越した。

光明寺の善導像と江ノ島弁天
神奈川県鎌倉市:光明寺の善導和尚の像が抜け出て説教をするようになった。江ノ島の弁才天がこれを聞きに来るようになり、ついには江の島に帰らなくなってしまった。

藤沢市

蛇がくれた雨
神奈川県藤沢市:日照りが続いて困っていた時、村人が鎮守様の鐘楼にいた蛇を小突くと、大雨が降った。数日後、鐘に蛇身の抜け殻が巻き付いており、蛇が昇天して雨を降らせたのだろうと噂になった。

通いあった大蛇
神奈川県藤沢市:一色川を大蛇が行き来した。稲荷という所の溜池と、円行との境の大口との間を夫婦らしい大蛇が毎晩通い合った。見たという人がいる。

大蛇に呑まれた話
神奈川県藤沢市:ゴーシ窪にいた大蛇が人を呑んだという。蛇は体は小さくできても眼は隠せない。だから眼の大きな蛇には油断するなといった。

竜王の松
神奈川県藤沢市:龍口様は大きな長虫で、海から上がったとき、頭が龍口明神のところにあり、尾が小動の浜上の松に巻きついていた。それでその松を龍王の松といった。

蓮華池の大蛇
神奈川県藤沢市:江の島大師の建ったところに蓮華池があったが、大蛇がいた。その姿を見て病んだ人がいる。丸太だと思ったら大蛇であったとか、角があったとかいう。

五月の節供
神奈川県藤沢市:昔、ご先祖の女神が蛇に悩まされて湯に入れなかった。それでみもちになった女神が菖蒲湯に入ると、蛇が菖蒲の湯に入られたので寄り付けない、と語っているのが聞かれた。

影取の地名説話
神奈川県藤沢市:大鋸の森家で飼われていた大蛇「おはん」が、影取池に捨てられた。するとおはんは傍らを通る旅人の影を取って米酒を巻き上げるようになったので撃たれた。

影取伝説
神奈川県藤沢市:影取池に捨てられた蛇は森家から泳いで行ったというが、美女の化身ともいわれ、その美女の名が「おはん」であったともいう。蛇はその名を呼ばれ姿を現したところを撃たれた。

ダイノボッチャの話
神奈川県藤沢市:大膳の継子のダイノボッチャは荒くれ者で、影取に影が落ちると東海道が荒れるとまでいわれた。横山様は悪い人ではなかったのだが、ダイノボッチャのせいで盗賊と疑われた。

江島縁起・五頭竜と弁才天
神奈川県藤沢市:深沢にあった湖水に五頭竜がおり、長く人臣を害した。欽明天皇の御宇、海に島が現れ弁才天女が降りた。天女を欲した悪竜は改心を誓い、竜の口山となって祀られ、島は江の島明神と号した。

江島縁起・道智法師
神奈川県藤沢市:道智法師が江の島で法華を誦すと、天女が通った。道智が不審に思い、藤の皮の糸を針に付け天女にさし追うと、竜が窟の中で怒っているのが聞かれた。

江島縁起・安然秘所記
神奈川県藤沢市:星谷の安然和尚は江の島に修業し、島の各地の霊池竜窟の様子を書き残した。島は東西男女に分かれ、金胎の曼荼羅を示しているのだという。

蛇の話
神奈川県藤沢市:子どもらに蟹を集らせられいじめられていた蛇が娘に助けられた。蛇は娘が水汲みに川を渡るのが大変であるのを見、橋となって恩返しをしたという。

大庭、宗賢院の龍頭骨
神奈川県藤沢市:曹洞宗蟠竜山宗賢院は大きな竜の頭骨があり、雨乞いに重宝された。もとは三觜家のものであり、江戸で質屋をやっていた時に扱っていたものという。

人身御供の話
神奈川県藤沢市:神さまに十七、八の娘を人身御供に上げた。そうしないと村に災難が来ると言って。もとは大蛇らしい。その神さまは大蛇で、いろいろに変装してくる。

化けものの成仏
神奈川県藤沢市:黒松の森がお宮の続きにもあったが、お宮に大きな化け物が出た。その化け物は、おばあさんが子守唄代わりに唄っていた懺悔偈で成仏し、姿を消したという。

龍が川の水を飲んでいた話
神奈川県藤沢市:柏尾川のザアザアで、尾を龍灯松に三まわり巻きつけて道路を跨いだ龍が水を飲んでいた。これを見た爺さんは病んで亡くなったという。

水を飲んだ大蛇
神奈川県藤沢市:油を売りに行ったおじさんが、松の木だと思って腰掛けたのが、水を飲みに出ていた大蛇だった。走った大蛇におどろいて、おじさんは病んで死んでしまった。

ザアザア
神奈川県藤沢市:改修で移動する前の古館橋のところに川の落差があって、ザアザア水音がするのでそう呼んだ。龍が水を飲んだというのがそこだった。

片目のどじょう
神奈川県藤沢市:宮前の田のドジョウは片目であるといわれた。鎌倉権五郎景政が眼にあたった矢を抜いて目を洗ったところなのでドジョウが片目なのだといった。

デーラボッチ
神奈川県藤沢市:この辺の高いところはデーラボッチが土をまけたところだと、昔の人はよく言った。富士山へ腰掛けて、土をおんまけたのが箱根の二子山だなどとも言った。

地蔵が淵の鰻
神奈川県藤沢市:地蔵が淵で耳の大きな鰻が釣り上げたれたが、料理すると呼びかける声が聞こえた。返事をする鍋の中身を川に捨てると、その身がつながり鰻は泳ぎ去った。

おふくろさんという石
神奈川県藤沢市:諏訪神社の裏には、池にいた大蛇の母であるという「おふくろさん」と呼ばれる石がある。昔逐電した男が池に母を投げ込んだものだともいう。

子どもの寿命
神奈川県藤沢市:お宮に泊まり、生まれる子の寿命を聞いた狩人が、その定めの年に子を呑もうとする大蛇を打って倒した。それでその子は大変長生きした。

小田原市

坊所のヘービ坂
神奈川県小田原市:坊所にヘービ坂という坂がある。蛇がいるからというが、登り口の家の先祖に平兵衛という人がいたことがわかった。

蛇女房
神奈川県小田原市:虎杖の笛を家宝とする旧家があった。先祖の笛の名手を慕い、妻となった大蛇があったのだという。

五百羅漢の由来
神奈川県小田原市:ある秋の洪水で流れ着いた大きな流木を拾おうとしたら大蛇であった。これを殺すと、無数の小蛇に襲われる夢を見たので、五百羅漢の造立を発起した。

これはこれは
神奈川県小田原市:酒匂の葱売りの正助は、貧乏だが正直者であったので、龍宮に招かれ龍王の姫を嫁として連れ帰った。

茅ヶ崎市

だいの窪
神奈川県茅ヶ崎市:藤沢の折戸や二ッ谷、菱沼や大磯のほうの窪地を巨人の足跡だといった。富士山を造ろうと土を運んできて、おんまけたのが箱根の二子山だといった。

ダイダラボッチ
神奈川県茅ヶ崎市:ダイダラボッチは人を食べたと聞いた。だから夜外に出るなとか、子どもが泣いたときにもおじいさんにいわれた。

国府祭
神奈川県茅ヶ崎市:大昔、天皇の奥さんになった蛇が、六つの蛇の子を産んだ。子の蛇がバラバラに逃げて、退治され祭られたのが相模の一之宮から六之宮だ。兄弟は年に一度神揃山に集まる。これが国府祭である。

かまとり塚・かまかくし塚
神奈川県茅ヶ崎市:西久保に鎌とり塚がある。そこに鎌をさしておいて、しばらくして戻ると鎌が無くなり、どうしても見つからなかったという。

二十五巾池
神奈川県茅ヶ崎市:昔、年の暮れに機を立てた女が、どうしたわけか二十五巾もの縦糸を経てしまい、織りきれず横糸の工面もつかなくなり、思い余って池に身を投げた。それで二十五巾池と呼ばれた池があった。

頭なしの森
神奈川県茅ヶ崎市:嫁入りの行列が松尾神社の森を過ぎてみると、縁女は頭のない死体となっていた。これより、婚儀の送迎は道を迂回するようになり、森は頭無しの森というようになった。

花女郎道
神奈川県茅ヶ崎市:松尾神社の女神が妬むので、花嫁はお宮の前を避けて通った。その迂回の道を花女郎道といった。

千ノ川のおせん
神奈川県茅ヶ崎市:昔、おせんという花嫁が石橋で突如川に飛び込んでしまい、以降花嫁は渡らぬ橋となった。

五月節供としょうぶ
神奈川県茅ヶ崎市:飯を食わない嫁の正体は頭から飯を食う大蛇で、追われた若者は菖蒲と蓬の茂みに隠れ難を逃れた。それで五月の節供には菖蒲と蓬を魔除けにする。

しょうぶ湯
神奈川県茅ヶ崎市:ある家の女中に蛇が目をくれ、男になって通った。たねをおろされたが、しょうぶ湯に入られるとだめだと語られ、以来五月の節供にしょうぶ湯に入るようになった。

五月節供にろくしょうをまくわけ
神奈川県茅ヶ崎市:人を食う蛇がろくしょうを口に入れ、苦しがって死んだ。それから五月の節供に家の回りにろくしょうをまくようになった。

大池の弁天様
神奈川県茅ヶ崎市:清兵衛が新田を拓くにあたり茅・葦を焼き払うと、大蛇のごとき怪物が飛び去った。その後家に凶事があり、弁財天を祭った。

大きな池のあった神社
神奈川県茅ヶ崎市:元町にはカヤの原があり、大池もあったが、芝焼きをした。このとき蛇が固まって焼け死んだので、弁天様の祠を建てた。

蛇のこもる蛇塚
神奈川県茅ヶ崎市:こんもり島のような蛇塚があった。塚には穴があり、冬になると田の蛇がそこにこもるといった。そこの蛇は主だからと、子供を寄せ付けなかった。

死にきれ
神奈川県茅ヶ崎市:本社宮の跡地の大松を伐った人などが死に絶えた話を「死にきれ」という。松の中にいた大蛇を切ったためともいい、大蛇が去った跡が見られたという。

太子免の松
神奈川県茅ヶ崎市:十間坂の某が頼まれ、太子免の大松を伐った。ところが、中にいた大蛇も切ってしまい、祟りを恐れて跡地に代わりの松を植えたという。

蛇の寄り
神奈川県茅ヶ崎市:蛇の寄りというのを見た。釜敷きの輪のようになって五、六十匹はいたと思う。一生に二度は見れないが、一度見ればもうたくさんだ。

物いうウナギ
神奈川県茅ヶ崎市:地蔵ヶ淵で大うなぎが釣りあげられ料理されたが、裏口からその名を呼ぶ声が聞こえた。これに料理が返事をし、身がつながって大雨の中を這い去ったという。

菖蒲湯
神奈川県茅ヶ崎市:いい男に化けた蛇に通われた娘が妊娠したが、蛇の話に聞き耳を立てると、菖蒲湯に入ると子が堕りてしまうといっていた。

蛇塚
神奈川県茅ヶ崎市:矢畑とその周りの塚などを行き来していた大蛇がおり、おとなしいので人に担がれるなどしていた。これを祀った蛇塚がある。

大蛇の話
神奈川県茅ヶ崎市:中島の浄林寺の大蛇が柳島と行き来しており、葦場の草のなびきで分かった。

逗子市

海宝院寺伝・部分
神奈川県逗子市:海宝院開山の僧は、富士郡の之源和尚である。家康の命により和尚は駿州を悩ませていた悪龍を降伏されたが、その折の龍鱗二枚が海宝院に持ってこられていた。

蛇矢倉
神奈川県逗子市:岩殿寺本堂向かって右に蛇矢倉がある。古来江の島弁天の窟に通じているといい、奥には常に水があり往古大蛇が棲んだという。

神武寺山王社
神奈川県逗子市:神武寺の山王社は、沼間の悪蛇退治の際その功徳があったといい、これを記念した弓射の神事があった。桜山蓮沼の老人が代々まず弓を引いたという。

沼間の七諏訪神社
神奈川県逗子市:聖武天皇の頃、土地や海を荒す七頭一身の大蛇がおり、領主・長尾善応が行基に請うて教化してもらった。心を入れかえた大蛇は七つの諏訪神社に祀られた。

十一面観音菩薩をめぐる伝説
神奈川県逗子市:沼間の娘の顔に腫れ物ができ、諏訪明神に願うと、埋もれている十一面観音を祀るよういわれた。そのようにすると娘は治ったが、この十一面観音は諏訪明神と祀られた毒大蛇を教化した観音であった。

六社大明神
神奈川県逗子市:浦郷の古池の毒蛇が人を食うので、天応元年池子の郷司の面々が退治した。中でも六人の勇士の活躍で七頭の大蛇は討たれたが、数ヶ月後この六人が一斉に死んだので、六社大明神と祀った。

池から出てきた大蛇の頭骨
神奈川県逗子市:池子には三つの大池があって、水が引かれ、田を作るのに重要だった。擂鉢池近くの上池を浚ったときに、大蛇の頭骨が出て東昌寺に納められたことがある。

池子の大蛇
神奈川県逗子市:摺鉢池には大蛇がいて、薪拾いにきた老人が倒木と思って腰かけたら大蛇であった、という話もあった。逃げ帰ったその老父から話を聞いた息子までぼんやりするようになってしまったという。

三浦市

小網代の主
神奈川県三浦市:小網代のもぐりが大きなタコを見つけ、毎日一本足を切り取って帰ったが、八日目、最後の一本を切りに行って帰らなかった。タコは小網代の主だったのだ。

八本目のたこの脚
神奈川県三浦市:宮川の桶島の磯に大きなたこがおり、日に一本足を切り取って桶に入れ帰ったが、八日目に最後の一本の足にからまれ、桶もろとも海に引きずりこまれ死んだ。

実相寺の七面天女
神奈川県三浦市:波島を領する実相寺には、吉宗の母堂と縁の深い七面天女が祀られた。昔波島に流れ着いた大蛇の禍があったが、七面天女勧請以来、その禍がなくなったという。

メカリ明神
神奈川県三浦市:昔、うつろ舟で流れ寄る神があった。海藻刈りに出ていた人が取り上げ海難(メカリ)明神と祀った。社が南に向いていたので、後に海南明神と改めた。

見龍山無量壽院光念寺
神奈川県三浦市:衣笠落城の折、海上逃れた和田義盛だったが、食料が尽きた。そこに筌が流れて来、それで魚をとって飢えをしのぐことができた。その筌は竜と化し去ったという。

馬の磯
神奈川県三浦市:鎌倉の長者の娘が竜宮に連れて行かれた。恩返しに探しに出た馬が、三崎にきて道が海に尽きているのを知り、崩れ落ちて海に身を投げたという。

楫の三郎山
神奈川県三浦市:資盈第三の家臣三郎は梶で宮の位置を占ったという。これを祀る梶の三郎山には祟りがあるといって人は踏み入らなかった。

海南神社
神奈川県三浦市:海南神社には太宰府より流れ来た藤原資盈公を祀る。公は三崎の海賊をたいらげ里人に敬われた。公夫妻と四人の家臣は漂着より二年後の同日に没したという。

洲の御前
神奈川県三浦市:城ヶ島の東端安房崎に資盈公第四の家臣が洲の御前と祀られる。勇猛の神で洲荒御前といったが、砂の雨を降らせたので荒の字を除いたという。

鮫川
神奈川県三浦市:狭塚川は鮫川ともいい、風雨を起こす大鮫がいたという。またその河口の諏訪神社は資盈公第一の家臣太郎を祀るが、幟を立てると天気が荒れるといった。

劔崎神社
神奈川県三浦市:劍崎の小山に大蛇がおり、沖を通る船を止めた。それで灯台の南に祀ると大蛇は見られなくなったという。それで沖を通る船も無事航行できるようになった。

剣を海に投じる
神奈川県三浦市:万治年間、岬の沖で船が沈んだ際、神主が剣を海に投じ竜神に祈ったところ、沈んだ材木が浮かんだという。それで岬を剣崎という。

星見の池
神奈川県三浦市:劍崎に星見の池があった。神が魚を惜しんだという伝説があり、実の名は「惜しみの池」らしい。関東大震災で海水の出入りがなくなって水は腐ってしまった。

オンジ
神奈川県三浦市:高いかや原の中に、一箇所だけまるく何も生えていない所があり、それはオンジというこわい蛇の住む所だと教えられた。

浅間さまのお通り
神奈川県三浦市:雨崎には雨ごいの祈りが捧げられる井戸があり、岬には大蛇がいた。浅間様と呼ばれる大蛇は時折房総と行き来し、五月雨のころ岬に近寄ると障ったという。

秦野市

池の島弁天様由来記
神奈川県秦野市:震災前に、弁天の蛇がよく姿を現した。災害の知らせであり、地区も大火を免れたと、池を掘り弁天様を一新して祀った。祭礼は震災の九月一日としたという。

コダカネ
神奈川県秦野市:秦野から中井の実家に帰る途中の身重の嫁が産気づき、大蛇に呑まれてしまった。そこをコダカネという。

米を食べる蛇
神奈川県秦野市:蔵の青大将は、いくらでも米を食う。それで、普通の青大将は黒いような色だが、蔵の青大将は青くなっている。

中将姫伝説と地名由来
神奈川県秦野市:中将姫の織った幡が飛来し、善波太郎がこれを射落とした。このことにちなむ地名が周辺に色々ある。幡は日向薬師に預けられた。

落幡の由来
神奈川県秦野市:信州から中将姫の曼陀羅が飛んできて、善波太郎が射落とした。姫は姑にきつくいいつけられ、機を織ったが織り上げ死んだ。その魂が幡に乗り移って飛んだのだ。

うなぎの目はこんな目に
神奈川県秦野市:曾屋の鰻は食べると目が潰れるといわれ捕られずにいたが、あるとき自分の目は神様より強い、という男が現れ、鰻を捕り食い始めた。

御門、天の下の美人
神奈川県秦野市:川普請前夜、お宮の下の穴はよけて掃除してくれと頼む美人があった。翌日捕えられた大鰻の腹から、美人が昨夜食べた麦飯が出てきた。

くもがふけ
神奈川県秦野市:鉄砲ぶちが丹沢山中のふけの縁で眠気に襲われ、気がつくと足指にふけの大クモが糸を巻きつけていた。

雨乞いと竜さま
神奈川県秦野市:三廻部では、雨乞いの切り札として、ささ滝の竜さまを怒らせる作戦をとった。滝つぼに大石を投げ入れ、悪口雑言を浴びせたという。

山女と大蛇
神奈川県秦野市:ささ滝には山女が沢山いたが、ひときわ大きな山女が捕らえられた。しかし、焼こうとしたところ、大蛇が山女を連れ返しに来たという。

雨の主・蛇
神奈川県秦野市:大天狗滝の主である大蛇が捕らえられるが、その大蛇が人語を叫び、子天狗滝に後の雨ふらせのことを託した。

雨の主・鰻
神奈川県秦野市:神奈川県秦野市:大天狗滝の主である耳のある大鰻が釣られたが、人語で無念を唄い出したので、釣った人は仰天して放してしまった。

龍と娘
神奈川県秦野市:太岳院横の沼の龍が、近くの美しい娘に惹かれ、背に乗せ沼に入り、大水とともに川を下った。その尾の触れた土地を尾尻という。

おじき
神奈川県秦野市:太岳院横の沼の龍が、近くの美しい娘に惹かれ、背に乗せ大水とともに川を下った。娘がおじきを呼び続けたのが聞かれ、尾尻の地名となった。

○○味噌づけ
神奈川県秦野市:一夜の宿を乞うた六部は主人にもてなされ、うまい味噌漬けを振る舞われた。六部はこの味が忘れられず、夜中にさらに盗み食いしてしまった。

蛇のいびき
神奈川県秦野市:畑仕事をしていると、藪から大きないびきが聞こえる。皆で見てみると、丸まっていた大蛇がいて動き出し、枯れ竹を折りながら這って行った。

神様はみんなの神様
神奈川県秦野市:分村にあたり氏神の扱いでもめた際、神殿に二つ頭の蛇が現れ、分かれても身はひとつ、という声がして収まった。

権現さまへお使いに
神奈川県秦野市:天王下にすむ蛇は清水の番人で、干天で清水に変化があると、権現山へ登って権現様に雨を乞うたという。

川梵天・山梵天
神奈川県秦野市:昔杉の木に蛇が巻きついていて、みてもらうと梵天を勧請すべしといわれた。土地では九月に梵天講をしたが、梵天様は蛇だという。

体を溶かす蛇いちご
神奈川県秦野市:そばの食いっこらをした男が、蛇の消化力の秘薬・蛇苺を用意して挑んだが、そばだけを残して男の姿が消えてしまった。

蛇の五色
神奈川県秦野市:蛇がとぐろを巻いて五色に輝いているときがある。それにざるなどかぶせて手に入れると、どこまでも運が良くなるという。

千間台のいわれ
神奈川県秦野市:千間台というところがあり、秦野千軒の家を見晴らす場所だからとも、千間の大蛇がいたところだからそういうともいう。

大蛇
神奈川県秦野市:昔、川の尻の二、三町下の辺りで、こっちの沢から、向こうの沢まで渡る大きな蛇がいた、という話を聞いた。

お諏訪さんと尾尻
神奈川県秦野市:昔、諏訪の大蛇が水を飲みに飛んできて頭の着いたところが今泉神社(おすわさん)なのだという。

蛇塚の由来
神奈川県秦野市:秦野の西の端に蛇塚という地名がある。昔、ここを通り小田原へ行く人々が蛇の多さに苦労したので、蛇採りをして供養した塚があったという。

蛇塚
神奈川県秦野市:蛇塚のあたりには、丸木橋のような蛇がいたとか、樵の血を吸う大蛇がいたなどという話がある。

厚木市

蟹淵
神奈川県厚木市:清源院の前に蟹淵という小地名がある。昔そこは中津川の淵で、大蟹が棲んでいた。流れが変わり、大蟹は甲を残し去ったという。

古澤山龍栖寺
神奈川県厚木市:下古沢の龍栖寺は、大綱明宗禅師がこの地に来、毒龍を化度して庵を結んだのが元であるという。元文になって、荻野の松石寺の末寺として再興された。

龍潭淵
神奈川県厚木市:龍潭山聞修寺には龍潭の井戸があったが、玉川の龍潭の淵と通底しており、淵の河童が時折井戸から現れたという。

梛の古木
神奈川県厚木市:母と妾の髪が蛇となり争ったのを契機に一遍は仏門に入ったという。その一遍上人がさした梛の杖が芽吹き育ったという古木が瑠璃光寺にあった。

越中へ行った大蛇
神奈川県厚木市:富山の薬売りが飯山に来て、地元の富山の方で、自分の正体は相模の飯山にいた大蛇なのだと語る女中に会った、という話をした。

うなぎ観音
神奈川県厚木市:岡田に要石がある。所を観音免といい、補陀洛院・後の永昌寺がある。そして、一帯の鰻たちはここの観音に参拝するという。

へびになった弁天様
神奈川県厚木市:蚕の繭が鼠に食われぬよう、弁天様に祈願した。すると繭部屋に大きな蛇がとぐろを巻いて、鼠が近寄らなかったという。

浮島の弁天様
神奈川県厚木市:相模川中の浮島は破壊されたが、島上弁天があった。工事の後、川からのたうち泳ぎ上がる女の姿が上依知で見られたという。

大和市

深見神社
神奈川県大和市:武甕槌神が舟で進軍され、倉稲魂神、闇龗神の二神に深海を治めさせられた。雨神は深見を治めて美田を拓き、郷を開かれた。

田道翁
神奈川県大和市:深見神社は田道翁なる人が祀ったという伝説がある。田道翁は草木や海苔を食し穀物を食べず、里に尽くしたので死後小社に祀られたという。それと思しき塚もあった。

天ぐ山
神奈川県大和市:昔、旅役者の田ノ吉が山で大男に出会った。娘などになって見せ、大男を楽しませた田ノ吉だが、正体は狐であるという大男が苦手とする煙草を呑んでしまい、大男は去った。

おっつもりの島さん
神奈川県大和市:島さんが影の頭が踏める時間になったら昼だから帰るように言われ、頭を踏もう踏もうと試すうちにどんどん北に行ってしまった。やっと影の頭が踏めたときは、八王子のよばり山に来てしまっていたという。

ダイラクボ
神奈川県大和市:中央林間駅東側の窪地をデイラクボ・デーラクボと呼んでいた。大雨が降ると水がたまり、一年引かないこともあったため、小さい舟なども使われた。

伊勢原市

善波太郎にまつわる地名の由来
神奈川県伊勢原市:鈴のついた旗が北の空から飛んできて、善波太郎という弓の名人に射落とされた。鈴の落ちた鈴川、矢の飛んで行った矢崎、旗の落ちた落幡などの名がある。

諏訪神社の蛇
神奈川県伊勢原市:養蚕をやると繭を鼠が食うので、お諏訪さんに頼んだ。姿を見せてくれというと、六尺位の大蛇が必ず現れたという。

大蛇ノ燒死シタル事
神奈川県伊勢原市:大山一の滝のそばに大榎があり、風雨の夜その榎のウロに大山から火玉が飛びきて燃えた。燃え跡からは大蛇の骨らしきものが沢山出た。

焼け死んだ大蛇の話
神奈川県伊勢原市:山の神にあった大松に大蛇が住んでいた。特に悪さもしなかったが、天日で松が三日三晩燃えて、大蛇も焼け死んだ。

大蛇の話
神奈川県伊勢原市:きのこを採りに山へ入ったお爺さんが、斜面を転げ落ちた。連れのお爺さんがどうしたのかと聞くと、震えながら大蛇がいたという。

石田の島田松
神奈川県伊勢原市:島田を結っているように見える大松があり、木の上に大蛇が化けて出たという騒ぎがあった。それは煙のようで、ぶゆのかたまりだった。

うもうぼく
神奈川県伊勢原市:大山の頂上に、霧をまとって一年中雫の垂れているウモウボク(雨降木)という木がある。ナンジャモンジャノキともいう。

古賀の渡しのはなし
神奈川県伊勢原市:ある夫婦が、沼の渡しに道を造るから子を授けたまえ、と祈願した。ところが、夜になると白蛇が土手を崩してしまうのだった。

舟つなぎ松
神奈川県伊勢原市:昔、大松に舟をつけ、沼地を渡っていた。この渡しを道路にすることにしたが、夜に蛇が土を流してしまう。これを鎮めた女の入定があった。

沼目の入定塚
神奈川県伊勢原市:古賀の渡しに道を築いた夫婦は、邪魔する蛇を殺して道を完成させた。その後妻が菜を食べて子を生んだが、その子は夭折してしまった。

蛇婆さん
神奈川県伊勢原市:蛇を殺して祟られ、穴から蛇が入ってきてしまうのだと、耳や鼻の穴に栓をしているお婆さんがいた。蛇婆さんと呼ばれていた。

蛇のごしきと蚕
神奈川県伊勢原市:嫁をもらった年には蚕が当たるという。うちでは、嫁が来たとき、五匹の蛇が垣根の下にとぐろを巻いていて、その年は蚕が当たった。

海老名市

有鹿の輿巻
神奈川県海老名市:旱魃で気の立った農民が有鹿の水引一行に襲い掛かった時、大蛇が神輿を巻き、水は一人のものにあらず、しばらく辛抱せよ、と告げた。そこを輿巻と呼ぶ。

日月大明神
神奈川県海老名市:星谷の日月大明神の神体は、昔落ちてきた隕石であるという。神社は一度合祀されたが、障りがあるので復祀された。

豊受神社のショウガ市
神奈川県海老名市:豊受神社には鐘があったが、ある人の片目を潰し、忌まれ沈められたという。また、それから目に良いというショウガの市が立つようになった。

蛇に魅入られた娘
神奈川県海老名市:長者の娘が草摘みに出掛け、春の野原でまどろみ、美青年と会う夢を見た。それで娘は懐妊したが、産土の神に菖蒲と蓬の湯に入るようにいわれ入ると、蛇の子が堕りた。

赤池と片葉葦
神奈川県海老名市:昔、国分の台地の湿地に生えていた葦は片葉だった。沼のカラス貝の精が、僧の前に女の姿で現れ、葦の葉をちぎって投げ続けた故という。

白椿の精
神奈川県海老名市:毎年、薬師様の白椿が咲く頃になると現れる美しい娘がいた。ある年、若者が娘に針糸を付けて後を追うと、その白椿の花に針が刺さっているのに行き着いたという。

竜灯の松
神奈川県海老名市:清水寺には大松があり、目久尻川の堰の竜が通って竜灯をあげた。清水寺を信仰する南湖の漁師が時化に会い、この竜灯に救われたという話がある。

沖田と大蛇
神奈川県海老名市:沖田には大蛇がいて、これを「おっきじゃ」と呼んでいたのが沖田になったのだという。この大蛇は凶暴さを増し、高僧によって寺の本堂の床下に封じられた。

大蛇後日談
神奈川県海老名市:寺下に封じられた大蛇が、有鹿神社裏に移された。そしてその堤の主となり、相模川の難所とされた。それは水道管橋建築の障害ともなったという。

天神森の若い衆
神奈川県海老名市:大谷の天神森の柴の大木の空洞に大蛇が住んでいた。その姿が遠目に見えると、若い衆が出ている、といってみな道を引き返したものだった。

社家の三島社の神木と大蛇
神奈川県海老名市:三島社の神木に大蛇が住みつき、ついに人にまで害が出たと思われた。すると神木が突如火を吹き、大蛇もろともに焼け落ちたという。

真鯨
神奈川県海老名市:昔、海老名耕地が海だった頃、大谷に鯨が上がったことがあった。竜になれなかった鯉が鯨になるのだと教えられた村人は、鯨竜山大谷寺を建て供養した。それで土地を真鯨という。

水飲み竜
神奈川県海老名市:大谷観音の正面虹梁には竜の彫刻があるが、昔この竜が水を飲みに出て尼を驚かし目に釘を打たれた。それで手桶に水を入れて下に置くようになったという。

彦六ダブの話
神奈川県海老名市:彦六が松を切りに行き、ダブ(淵)にナタを落としてしまった。拾いに潜ると美女が歓待してくれたが、陸に戻ると三年の月日が経っていた。

私の泳いだ彦六ダブ
神奈川県海老名市:蛇が弁天の使いだというので、弁天祠前に笊を置いて入ってくださいと試した人がいた。すると、本当に青大将がするすると笊に入ってきたという。

弁天様のお使い
神奈川県海老名市:蛇が弁天の使いだというので、弁天祠前に笊を置いて入ってくださいと試した人がいた。すると、本当に青大将がするすると笊に入ってきたという。

勝坂の有鹿谷の霊石
神奈川県海老名市:有鹿郷の水源である勝坂の有鹿谷は、天正に神霊の導きにより見つかった。有鹿神社のご神体は四月に勝坂に行き、六月に帰る。このご神体の玉石に悪戯すると大蛇が出るという。

伝説 有鹿姫
神奈川県海老名市:小沢城落城の折、城主の姫が相模川に投身し、蛇体となった。蛇は婚約していた海老名氏の地有鹿まで来て息絶えた。人々は有鹿姫の名を贈り、有鹿神社の一隅に葬ったという。

蛇っ食い嘉衛門
神奈川県海老名市:嘉衛門が漁に出たところ、仲間の作太郎が大蛇に咥えられてしまう。剛胆な嘉衛門は出刃を取り出すや、水に飛び込み大蛇と闘った。

座間市

鈴鹿と有鹿の神争い
神奈川県座間市:伊勢の鈴鹿より来た神の宝玉を在地の有鹿の蛇神が狙ったが、鈴鹿明神に合力した諏訪と弁天と三大蛇の争いとなり、敵わぬ有鹿は海老名に逃れた。

入谷の雨乞い
神奈川県座間市:入谷の雨乞いは、龍神いじめの神事といい、鈴鹿明神社の池の水をかい干すものだった。池には龍を彫った石が沈めてあるといわれ、水がなくなると雨を降らせるのだといった。

弁財天社
神奈川県座間市:小池の弁天わきにあった池は目久尻川の源になるが、流域の人々は祭の時には代参を派遣してきていた。また、池には相模原の大沼の竜神が水の道をつくって通ってきたという。

弁財天のお告げ
神奈川県座間市:龍源院の奥には蛇身の弁財天の石像があるが、中興二世の和尚の夢に白蛇の神が立ち、祀るようにいったのだという。

星谷寺観音縁起
神奈川県座間市:観音が現れ堂が造られ、人々が日夜法華経をあげていると、東の蛇谷の大蛇がしきりに覗いた。やがて大蛇は法華経のご利益で成仏したという。

南足柄市

清左衛門地獄
神奈川県南足柄市:水神のお告げに従い水を見つけた清左衛門だが、馬もろともにその池に沈んだ。清左衛門は芦ノ湖の九頭竜となったという。

黄金の雨
神奈川県南足柄市:長泉院の奥に大蛇がおり、七日七晩の読経により昇天した。その時大蛇は雨とともに黄金の鱗を降らしていったという。

長泉院来由記・部分
神奈川県南足柄市:大森彦七という武士が猟に入山した折、大竜が襲い掛かってきた。この死闘の跡が、長泉院の旧跡となっている。

浦山の竜蛇
神奈川県南足柄市:戦中大木を供出しようとしたところ、実地踏査する人の前を八尺もある真っ黒な竜蛇のようなものが横切った。

天狗の木の大蛇
神奈川県南足柄市:日清戦争のころ、大杉が伐採されることになったが、手を付けようとしたところ、七尺ある大蛇が現れ、走り抜けた。

地蔵堂の雨乞い
神奈川県南足柄市:日照りが続くと、夕日の滝の水を聖天さんの池に注いでかき回した。聖天の池の底は小田原の海に通じていて、これが塞がると旱天となるのだといわれた。

四万長者の妾
神奈川県南足柄市:足柄山の金太郎の祖父、地蔵堂の四万長者の妾は蛇であったという。この蛇は足柄峠の聖天堂の池に封じられた。

矢倉岳の主(前)
神奈川県南足柄市:矢倉岳の主の大蛇は、人々が富士山ばかり眺めるのに嫉妬し、矢倉岳を高くし、富士山が隠れるようにした。

矢倉岳の主(後)
神奈川県南足柄市:足柄峠を越える盲目の法師が夜笛を吹いていると、女の泣き声が聞こえてきた。女は自分は矢倉岳の主の大蛇であるという。

綾瀬市

龍の夢
神奈川県綾瀬市:龍や蛇の夢を何度も見たが、あるとき拝み屋に見てもらうと、外国から飛んできた龍が家を作ってくれと言っている、といわれた。それで祠を作り祀ったのだ。

東村の弁財天
神奈川県綾瀬市:製糸工場に入り込んでミイラ化した蛇が弁天と祀られた。管理する人が他界し他社に合祀されたが、病が流行り、弁天が元に戻りたいのだとされ、再祀された。

お宮の釣鐘
神奈川県綾瀬市:早川のお宮には「おもいど」という井戸(池)があるが、釣鐘が沈んでいるという。お宮の神様の中に釣鐘が嫌いな神様がいて、おもいどに落としてしまったのだそうな。

お瀧の堰
神奈川県綾瀬市:お瀧の堰の下には江の島に続く洞窟があり、大蛇が住んでいた。清水寺の松に登って明かりをつけた龍ともいう。相模湾の漁師がその明りを目当てにしたそうな。

オイノクボの大蛇
神奈川県綾瀬市:オイノクボには大蛇がおり、寺尾の釜田という湧水へ行き来していた。大蛇の通ったあとは草木がなびき、小園原にはその跡がずっとついていた。

三浦郡

長蛇ヶ崎
神奈川県三浦郡葉山町:長者ヶ崎は長蛇ヶ崎ともいった。土地ではもっぱらに尾ヶ崎と呼ぶが、ここに長蛇園という旅館ができ、これが長者園と改めるのに併せ、岬の呼び名も変わっていった。

峰山の大池
神奈川県三浦郡葉山町:峰山の山頂に大池がある。往時は底なし沼といわれ、晴れると主の赤牛の姿が見えるといわれた。峰山には尾ヶ島に尻尾をあらわした大蛇が棲んでいたともいう。

蛇骨山・蛇塚
神奈川県三浦郡葉山町:新沢の南に小さな山があるが、これを七巻する大蛇がいた。大蛇が死に頭骨が残ったので、祀った祠がある。大沢には蛇場見という地名もある。

長者ヶ崎
神奈川県三浦郡葉山町:大昔長者がいて木を植えたのが葉山の名の起こりで、近くの岬を長者ヶ崎という。かつてこの地に遊んだ頼朝に、芦名三郎為清が披露した話だという。

桜山大山とウナギ淵の伝説
神奈川県三浦郡葉山町:婆さまを襲った大鰻が返り討ちにされ、七日に渡って婆さまにその身を切り出された。しかし、八日目に残りの頭が婆さまに大声をかけた。

泣ん面山
神奈川県三浦郡葉山町:鰻淵の主の大鰻が捕らえられたが、背負われ山を下る途中、大鰻は嫌だと叫び、切られては泣いたという。泣ん面山などの名は、これによってつけられた。

七桶
神奈川県三浦郡葉山町:欲の深い婆が大蛸を見つけ、一日に脚を一本切って桶に入れて持ち帰った。七日七桶脚を切っていったが、八日目八本目の脚につかまり海に引き込まれた。

高座郡

デェダラボッチ
神奈川県高座郡寒川町:デェダラボッチは途方もなく大きくて、琵琶湖の泥を天秤棒で担いで来た。富士山に腰掛けて、その泥を置いてできたのが箱根の双子山だそうだ。

なんばの小池
神奈川県高座郡寒川町:追儺祭の時は「ナーンバーノコーイケー」と大声で繰り返しながら、社殿の周りを三回廻る。寒川神社本殿裏のなんばの小池は、浚えば必ず雨が降るといわれた。

地蔵ガ淵のとげぼう
神奈川県高座郡寒川町:小出川の地蔵ガ淵で大きいウナギが獲れたので焼いて食べようとしたが、「地蔵ガ淵のとげぼう」といったらつながって逃げてしまった。

蛇の骨
神奈川県高座郡寒川町:うなり声のする藤の木が伐られ、中から蛇の骨が出てきた。骨は地蔵に祀られたが、線香や水をきらすと病人が出るので、欠かさず供えたという。

へーべー塚
神奈川県高座郡寒川町:へーべー塚といわれる塚があった。一丈もある芦の原だったが、その上に顔を出す蛇が見られ、蛇塚のことだといわれるようになった。

蛇塚
神奈川県高座郡寒川町:蛇塚はその昔、大蔵の百姓たちが葦原に田を作った時、何百と殺した蛇を供養するためにつくった塚という。

茶が谷戸橋の由来
神奈川県高座郡寒川町:茶が谷戸橋のあたりは窪地で、蛇がたくさんいて蛇が谷戸といった。それがなまって茶が谷戸になったのだと聞いた。

中郡

ボラのヨーバミ
神奈川県中郡大磯町:ナガモノ(蛇)に追われて、ボラが集まる。その中を船で通ると、たくさんのボラが船に飛び込むが、ナガモノの毒気を避けるため、莚などを被る。

餌に混ざっていた蛇
神奈川県中郡大磯町:甕の中の餌のイワシに大蛇が混ざっていて、それでその船は大漁であったという。

天城山のヌシをすくう
神奈川県中郡大磯町:小田原の漁船が奇妙な魚をすくい、生かして帰ると大蛇になっていた。天城山のヌシだといわれ、帰すと不漁の日もこの船にだけ漁があるようになった。

シャチガミ
神奈川県中郡大磯町:プリンスホテルができた所にシャチガミの松という松があった。大磯の港の竜宮さんの御神体は、シャチガミという海蛇にとぐろを巻かせた剝製である。

大蛇が出た!!
神奈川県中郡大磯町:明治の末に花水川で大蛇を見て亡くなった人がいた。噂になったが、海亀を見間違えたのだろうと騒ぎは収まった。

高麗山の蛇
神奈川県中郡大磯町:大磯丘陵から高麗山にかけて、大蛇がいて行き来しているとよくいわれた。

大蛇のいる池
神奈川県中郡大磯町:川尻の今公園になっているところは昔ヨシハラで、大きい蛇がいると噂された。その姿を見て気を失ったという人もいた。

宇賀神社さんの事など
神奈川県中郡大磯町:小磯の宇賀神さんには蛇も祭られている。昔、国府祭に行く神輿は、宇賀神さんの前を避け、裏を通って行ったという。

蛇はお使い
神奈川県中郡大磯町:宇賀さんのお使いの蛇が家に来ていることがあった。大きな蛇が縁の下にいたとか、白い小さな蛇が庇にいたなどいう。

十二所権現縁起典・部分
神奈川県中郡大磯町:権現は六所明神祭の神輿の渡御を邪魔した魔神・権現末社の宇賀神を縛めた。権現も前の往還を通る旅人に障ったので、社地を遷したという。

白岩さんの蛇
神奈川県中郡大磯町:白岩さんに一抱えもある大きな蛇が出たということがあった。高麗山から大蛇が通ってきていたのだともいう。

国府祭の由来
神奈川県中郡二宮町:天孫降臨以前、悪神蔓延るのを懲らしめるため、五人兄弟の神が下された。この神々が母の柳田神社に年一度集まるのが国府祭である。

花月のこと
神奈川県中郡二宮町:曽我兄弟の姉の花月が兄弟の仇討がなることを祈願し、浅間神社に通ったが、蝮に咬まれた。しかし、花月がひるまず祈願を続けたので、山には蝮がいなくなった。

竜宮社
神奈川県中郡二宮町:梅沢の竜宮祠は、海亀が産卵に来たところ、シケにあげられた海亀を埋めたところという。この産卵を見ると祟られるといわれ、見た少年が波にさらわれたこともあった。

足柄上郡

箱根山の雨乞い
神奈川県足柄上郡中井町:大久保では箱根に雨乞いに行った。御櫃に赤飯を持参し、箱根権現にあげ、また湖中に沈め、芦ノ湖の水をもらって帰った。

水を呑みに出た龍
神奈川県足柄上郡中井町:米倉寺の雌雄の龍像が水を飲みに葛川に出て、お婆さんを驚かしたので、両眼を鋸でひき潰したという。

蛇橋
神奈川県足柄上郡中井町:立沢に蛇橋という丸木橋がある。昔、小田原藩士が丸太と思って大蛇の橋を渡ったところという。

お神酒松
神奈川県足柄上郡中井町:お神酒松のところでうたた寝した娘を大蛇が呑もうとしたが、娘から立ち上る炎に阻まれた。

七滝の主
神奈川県足柄上郡大井町:木こりが七滝の滝壺の小蛇を叩くと大きくなった。しまいには大蛇になって火を吹いた。

蛇塚
神奈川県足柄上郡山北町:越地の沼畔に八幡を遷座したところ、白羽の矢が立ち、大蛇の死体が横たわった。

大蛇を退治した神さま
神奈川県足柄上郡山北町:越地の沼の化け物が村人を悩ませ、旅の者に蛇の苦手な鉄の神を祀るのがよいといわれた人々は、そのようにした。

雷岩
神奈川県足柄上郡山北町:秦野との境の塔ヶ岳に尊仏という岩があり、いかづちが住むという穴のある雷岩が下にあった。

勘安ペロリ
神奈川県足柄上郡開成町:河原町の勘安という怖いもの知らずが、炭焼きに行き大蛇に遭い、無謀にも大蛇に向かっていった。

足柄下郡

あまのじゃくと二子山
神奈川県足柄下郡箱根町:あまのじゃくという力持ちが、人々が富士山ばかり眺めるのに嫉妬し、富士山を削って低くしようとした。

蛇骨と大平台の名の起こり
底倉の按摩の青年の笛に惹かれた大蛇を、領主の木賀善司が射止めた。その大蛇が尾平台をつくり、死骸が蛇骨川の蛇骨となったという。

仙人台の大蛇
神奈川県足柄下郡箱根町:大平台の豆腐屋のトラばあさんが、仙人台の奥で大蛇に遭遇した。村人は尾平台の大蛇の子孫か、と噂した。

入道淵のクモの話
神奈川県足柄下郡箱根町:入道淵で釣りをする炭焼の若者の足にクモが下りてきた。クモを木に避けると、蜘蛛の糸を巻かれた木が根こそぎに抜けた。

精進ヶ池
神奈川県足柄下郡箱根町:盲目の按摩・庄次が尺八を吹いていると、その音に誘われるように美女が訪れるようになる。その美女は昇天しようという大蛇であった。

湖底の屋脊
神奈川県足柄下郡箱根町:箱根の湖には、毎年強飯が投げ入れられるが、浮くことがないという。また、渇水のときにはその底に棟のようなものが見えるという。

湖の底が抜けた
神奈川県足柄下郡箱根町:芦ノ湖の水面が急に下がり、西に大きな渦巻きが見つかった。底が抜けたのかと大騒ぎになった。また、湖水の底はずっと東の清左衛門地獄池につながっているともいう。

福原長者(更新)
神奈川県足柄下郡箱根町:福原長者の姉妹姫が、継母に島流しにされてしまう。最後はそれぞれが神となり、追ってきた継母は諏訪湖の底につながれた。

九頭龍
神奈川県足柄下郡箱根町:芦ノ湖の毒龍を万巻上人が調伏し、湖中木につなぎ鎮めた。これが九頭龍神であり、湖水祭の祭神である。

箱根山縁起(部分)
神奈川県足柄下郡箱根町:湖に九頭の毒龍がおり、人々を苦しめたので、万巻上人が祈誓し、湖中の大木に繋いだ。

蛇の住る話
神奈川県足柄下郡箱根町:湖中に大蛇が住み、小児を喰ったので、赤飯を代わりに投げ入れるようになった。赤飯を納めた櫃は浮き出ることがないという。

愛甲郡

八菅山
神奈川県愛甲郡愛川町:八菅山は日本武尊東征の折、山の形が龍に似るとし、蛇形山と名付けたのだという。それで山中に左眼池・右眼池・鼻池・口池・舌畑などの名が残る。

八菅山勧進帳・冒頭部分
神奈川県愛甲郡愛川町:当山は行基菩薩草創の地で、昔八丈八手の玉幡が都率天より降臨したのを忽然として現れた八本の菅根が受けたことより八菅山という。

幡の坂
神奈川県愛甲郡愛川町:昔、中将姫が蓮糸で織った幡が坂の上に舞い降り、三七日舞っていたが、修験者たちの祈りで西に飛び去った。幡は善波太郎に射落とされたという。

清徳寺の鎌獅子の雨乞い
神奈川県愛甲郡愛川町:清徳寺には鎌獅子を祀る宮がある。下顎を外した獅子頭なので鎌獅子というが、行道すると一帯の水を飲み干してしまうので、下顎を外したのだという。

塩川滝の由来
神奈川県愛甲郡愛川町:良弁が権現を祀ったといい、八菅修験が行場としたともいう塩川滝がある。その上の渕は江の島に通じているといい、江の島弁天がやってきたという話もある。

下谷弁天物語
神奈川県愛甲郡愛川町:中津川で拾われた蛇の石像が、下谷に寄付され弁天と祀られた。霊験あらたかであったが、半世紀がたち石像はなくなり、今は祠のみがある。

おしゃもじさま
神奈川県愛甲郡愛川町:蚕には鼠が天敵だったので、おしゃもじさまから杓子を借りてきて屋根裏に挿した。すると、大蛇が出てきて、鼠を追ってくれるのだった。

由都加波昔し話
神奈川県愛甲郡清川村:湯出川は鉱泉の湧く川だった。天王前の湧出の淵には雨乞いの龍も沈められるが、底の石に穴があり、江の島までつながっているといわれた。

おとうぼうと炭焼さん
神奈川県愛甲郡清川村:体の弱いおとぼうという子を持つ炭焼きが、渕で大魚を釣った。この魚が口をきくので驚き捨てたが、帰るとおとぼうは亡くなっていた。

おとぼうが淵
神奈川県愛甲郡清川村:煤ヶ谷の北の淵で、四尺もある大魚が捕まえられたが、「テンゴウボウが負われて行くぞ」と、その名を呼ぶ声が聞こえてきた。

不動沢の弁天
神奈川県愛甲郡清川村:蛇に通われその子を産んで死んだ娘を憐れみ弁天像が祀られた。蚕の時は弁天の石を借り、蛇に鼠を退治してもらう。

煤ヶ谷雨乞いの龍
神奈川県愛甲郡清川村:昔煤ヶ谷には雌雄の龍がいて、雨を降らせては会っていた。龍は夫婦になって昇天したが、後の人は藁の夫婦龍で雨乞いを行った。

煤ヶ谷村の雨ごい
神奈川県愛甲郡清川村:煤ヶ谷では、川の上流に雄竜、下流に雌竜の藁の大蛇を沈め、雨乞いをした。雄竜が雌竜と会いたく雨を降らせ流れ下るのだという。

白山のがまと白蛇
神奈川県愛甲郡清川村:白山の上には、雨を降らせる白蛇の池がある。また、飯山と煤ヶ谷のがまもいたが、このがまたちがお国自慢から喧嘩になってしまった。

雨降りの松
神奈川県愛甲郡清川村:現在の八幡神社の下に松の大木があって、常に水の雫が落ちたので、雨降りの松と呼ばれていた。