だいの窪

原文:神奈川県茅ヶ崎市


中赤羽根のそば、菱沼と室田の境に、手白塚というのがあった。その東北側に「だいの窪」といって大きな窪地があった。これは昔、怪人があるって来た足あとだなんて……。

藤沢の二ッ谷にもあってそれは右足、菱沼にあるのは左足だそうだ。二ッ谷とここを一またぎすんだから、よほど大きな人だったんだろう。なにしろ、かかとのあとだけで一八〇坪あったかね。ちゃんと足のかっこうしてたんですよ。

砂を、両肩にかついであるって来たけど、ひもが切れちゃった。それで、砂をおんまけてしまったところが、箱根の二子山だそうだ。

まあ、ほんとのおとぎ話だね。(菱沼 太田仁さん 明治37年生 昭和55年6月)

デエラボッチは、一晩で富士山を築こうと思った。がそのうちに、夜が明けたから箱根山のあっこで、かついでいた一荷の土をおろしちゃった。土は徳川藩かどこからか運んできたんだね。

その時の足あとが、折戸(藤沢市)と大磯に残っている。赤羽根道のそばで、父からここがデエラボッチの足あとだと教えてもらった。今はわからない。(下寺尾 臼井孝之さん 明治40年生 昭和55年6月)

藤沢に折戸というところがあるが、そこにデエノボッチの大きな左の足あとがあって、右足のあとは大磯のどことかにある。

そんで、土を駿河の方へ持ってくんべ、と思って、一荷にかついでいった。山のところまで、来たはいいけんど、重たくなって、かついで行ったやつを、おんまけちまえ、とおんまけちまった。それが箱根の二子山で、デエノボッチがかついでいって、おんまけた土でできた。(下寺尾 臼井勇さん 明治37年生 昭和55年6月)

折戸の谷戸に、ちょうど足あとみたいな田があって、ダイラボッチの足あとだといいました。二つも三つもあるったようにありました。私の実家の田んぼでした。

ダイラボッチが、土を箱根までかついで来たけれど、あまり重いので、一つおろしたのが二子山だ、とか言うのを聞きました。(下寺尾 川島イトさん 明治29年生 昭和55年6月)

『茅ヶ崎の伝説』
郷土史研究グループ「あしかび」
(茅ヶ崎市教育委員会)より

追記