影取の地名説話

神奈川県藤沢市


遊行寺と戸塚原宿の間に、影取という村があった。小笠原長保の甲申旅日記に「影取の社は何所ぞと尋ぬれども知る人の無かりければ云々」と見える。

昔、感応院近くの森という大尽の家で大蛇を飼っていた。「おはん」という名の大蛇は可愛がられていたが、大喰がすぎて影取池に捨てられたという。一説には森家の窮状を察して自ら出て行ったともいう。ところが、その後おはんは影取池に映る旅人の影を取って、米や酒を巻き上げるようになった。

それで影取といわれるようになったのだが、近郷の人は大蛇を殺そうとした。しかし、蛇は狙うと姿を消し、名人でも打てなかった。そこで、「おはんさん」と呼びかけたところ、懐かしい名を呼ばれた蛇は、森家から迎えが来たのかと思って姿を現した。そこを鉄砲で撃たれて死んだといい、その場を鉄砲宿という。

元文五年の東海道駅路図にも、蛇の池、影とり池と記載されているが、今は雑木林の中にわずかに水がたまっている程度である。影取村の名主だった羽太家には慶安三年の影取池の話を記載した文書があったそうだが近年紛失したという。

『書かれない郷土史』川口謙二
(錦正社)より要約

追記

影取町は今も戸塚区の大字としてある。国道一号線の南東沿いに細長くあるが、真中あたりに鎮座される諏訪神社の南東側の森の下あたりに池はあったのだろうか。今はもう水たまりというのもない。甲申旅日記の「影取の社」とは諏訪神社だろうか。尋ねるほどわかりにくいところではないが。

そのような具合で、影取池そのものは戸塚分になり、そちらでも語られる話なのだが(「影取池」この話では時代が特定されている)、大蛇が飼われていたという森家が藤沢市大鋸の名主の家ということで、藤沢の伝説という色合いが強い。

その森家の様子の前段は蛇息子の一種である。津久井のほうにも養いきれなくなって捨てられた大蛇の話があるが(「市兵衛同心の話」)、家の盛衰を語る筋としてあったものだろうか。

ただし、興味深い類話として、「おはん」というのは美女の名で、その化身の蛇だった、とするものがある(「影取伝説」)。そうなると蛇息子の話からは離れることになってしまうが。

ともあれ、この戸塚の影取池だけでなく、川崎市有馬にも影取池があり(「有馬の影取り池」)、さらに多摩の唐木田にもあるのだが、もれなく蛇は出てくるものの、その来し方行く末の話はばらばらだ。そこはまず「影取」の名ありきということなのだろう。

また、概ね類話を見ても、大蛇は水面に映った影を取り、影を取られた人は間もなく死ぬ、という怪なのだが、上の話では米や酒を巻き上げる、とあるところが少し気になる。「ダイノボッチャの話」という荒くれ者の話がある土地でもある。