影取池

神奈川県横浜市戸塚区


藤沢の大鋸町の森という大鋸(大工)の棟梁の家の竹藪に、「おはん」と呼ばれる一間もある青大将が住んでいた。一日に酒三升と米一升をたいらげる大蛇になったが、小田原藩おかかえの棟梁家にしてみれば、えさ代に事欠くこともなく可愛がられていた。

ところが天保の飢饉が襲うと、さすがの森家もおはんを飼う余裕がなくなり、東のはずれの池へ放した。すると間もなく、池の畔を歩く人の影が水面に映ると、たちまち吸い込まれて死ぬという噂が立った。

人々は池を影取池と呼んで近づかなくなったが、一人の猟師が鉄砲でおはんを撃ち殺し、影取の噂は聞かれなくなった。今も影取町と、この猟師が住み着いた鉄砲宿の名が残っている。

『戸塚郷土誌』戸塚区郷土誌編さん委員会
(戸塚区観光協会)より要約

追記

戸塚区影取町にあった(今はない)影取池の話。大蛇がもともと藤沢市大鋸の森家(藤沢のほうでは名主という)で飼われていたということから、藤沢の話という色合いが強い(「影取の地名説話」)。主筋としてはそちらをあたられたい。

こちら戸塚区側の話では、その時代背景が天保の飢饉の後、と特定して語られているところが目を引く。もっとも、より昔の元文の駅路図に蛇の池とあるそうなので、矛盾はするが。