市兵衛同心の話

神奈川県相模原市緑区


天保のころ、市兵衛同心と呼ばれる仙人が小倉山に住み、相模川を渡って大島村に来た。市兵衛同心は山の鳥や獣を、米や塩と交換しに来るのだった。同心というように、もとは奉行所の同心だったが、世をはかなんで小倉山の松山平に隠れ住んだのだという。今に同心沢とか市兵衛平とかの地名を残している。

ところで、下小倉の名主忠蔵の土蔵に長く大蛇が住んでいた。やまっかがしで、土蔵を狙う鼠をよく獲ってくれるので可愛がられていた。しかし、一日一升の米を食う大食いで、さしもの忠蔵も窮乏し、大蛇は小倉山に捨てられた。野性を失っていて餌も取れず、餓死寸前になっていた大蛇を助けたのが市兵衛同心だった。

それで蛇は礼に山の獲物を市兵衛に獲って来、市兵衛はそれを交換しに里に来るのだった。蛇の獲った獲物は、まったく疵がないので喜ばれた。ところが、蛇が獲りすぎるので、小倉山に沢山いた五位鷺などはいなくなってしまった。蛇は耳が聞こえなかったようで、市兵衛同心は忠蔵蛇はつんぼで困るといっていた。

市兵衛はまた、獺を使って魚を獲ったともいう。獺は大きな魚の鰓の中に頭を突っ込み、生き血を吸うのだそうな。市兵衛の最後は誰も見たものがない。いつの間にか行方が知れなくなってしまったという。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より要約

追記

実際にこういった世捨て人がいたのだろう。大蛇のほうは蛇息子のような出自なのだが(「五郎兵衛淵」など)、これが捨てられた後に第二の主人を得るという珍しい話運びとなっている。

相模川左岸側の大島には、小倉の名主の息子を詐称してやってくる蛇息子の話もあり(「魔性と契った祢宜の娘の話」)、対岸小倉山に蛇のイメージがあったらしい。