落幡の由来

神奈川県秦野市


鶴巻は昔落幡といった。いつの頃か、信州の方から幡が飛んで来て、善波山の木にかかってピーピー鳴るので、善波太郎が射落とした。それで、善波山には「つるしめし」という地名があり、矢が飛んだ先を「矢先」という。幡は蓮の繊維で織った曼陀羅で、幡松院西光寺には、中将姫が幡を織っている掛軸がある。

中将姫が嫁に行った先の姑がやかましく、何日で織りあげろといいつけたので、寝ないで機を織った。幡は織り上がったが、姫は生命が絶えた。それでその魂が幡に乗り移って飛んだのだ。曼陀羅の幡は、日向薬師に保管されている。

鶴巻下部長寿会 原仙蔵

『秦野むかしがたり』
(秦野市老人クラブ連合会)より要約

追記

「中将姫伝説と地名由来」の類話。話の各要素の注釈などは多くなるのでまた別に。類話が大変に多いこの伝説だが、この引いた話は後段に目を引く特色がある。

通常の中将姫の説話では、姫は最後に来迎によって救われるのだが、ここではその残念が幡に乗り移って、とある。多くこの飛ぶ幡の伝説では、その飛び出した理由が語られないのだが、ここには語られているのだ。

この幡はまた、怪音を鳴らし人々を苦しめるなど、忌まわしいものという側面がまま強調される(「あやしい旗」など)。ここもまたその理由が語られないところなのだが、姫の残念、というのはそこも説明するように思う。

そして、その残念の理由が姑からの重圧、というところが殊に目を引く。通常の説話でも中将姫は継母に虐げられるが、機織りの部分ではない。これが上の話のようになると、日招き型の機織り娘の話と同列に捉えられた、ということになる。

これは武州高坂のほうで語られる、中将姫が蛇体となる話(「中将姫の蓮糸の曼陀羅」)にも見られる傾向で、その傾きが落幡のほうでも語られたというのは、注目に値すると思う。