落幡の由来

原文:神奈川県秦野市


大字鶴巻は昭和三十年の町村合併前、大根村の時代には落幡という大字名であった。

そして今、落幡という地名が残されているのは、落幡神社とバス停落幡である。

その昔、年代不詳ですが、信州方面より幡がとんで来て善波山の木にかかって風が吹くと、ピーピーとなるので善波太郎重氏と云う郷士が弓で射落とした。幡の落ちた所が落幡と名づけられた。善波山には「つるしめし」と云う地名がある。そして矢の先が飛んでいった所が「矢先」である。

その幡は蓮の茎の繊維で織った曼陀羅という織物である。幡松院西光寺に中将姫が天女にかこまれて幡を織っている掛軸がある。秦野市最大のもので、縦三米余、横一米三十糎。

中将姫は殿様の娘で他家へ嫁に行ったので姑様がやかましかったので、「何日に織りあげろ」といいつけたので、夜もろくに寝ずに機を織った。そして幡が織り上がった時は生命がたえた。それで故人の魂が幡にのり移り、天高く舞い上がった。曼陀羅の幡は、伊勢原市日向部落の日本三大薬師に保管されている。

鶴巻下部長寿会 原仙蔵

『秦野むかしがたり』
(秦野市老人クラブ連合会)より

追記