あやしい旗

神奈川県平塚市


夏の盛りのこと。八菅の山の上に白く長い幟旗が浮いていた。旗には大きな鈴が付いていて、落ちる様子もなく浮いている。そして、この鈴が嫌な音を立てて鳴りだし、人々は歯が浮き耳が痛くなり、気持ちが悪くなった。

あれは化け物だ、という皆の要請で、八菅の修験者たちは、昼夜ぶっ通しで悪魔ばらいのお祈りをした。すると、その甲斐があって、山の上の旗はゆらめきながら南西のほうへ飛んで行った。

これを待ち構えていたのが善波の善波太郎で、彼はこれが八菅の人たちを苦しめた化け物か、と弓を引いて旗を射た。旗は蛇のようにのたうちまわり、鈴を落とし、旗もまた落ちた。旗の落ちたところを落幡といい、矢の落ちたところを矢崎、鈴の落ちた川を鈴川という。(岡崎・豊田)

『むかしばなし 平塚ものがたり』
山中恒(稲元屋)より要約

追記

飛ぶ幡の話を多く語る県央部からみると平塚市はいかにも南だが、岡崎のあたりは伝の善波・落幡からはすぐ南となる。落幡などでは旗は中将姫の織ったものだなどというが(「中将姫伝説と地名由来」)、こちらにはその面がない。

この岡崎の話で興味深いのは、八菅山のことが大きく語られているところだ。間の伊勢原市・秦野市の話では、まず八菅山のことは出てこない。現代になって八菅山の飛ぶ幡(「幡の坂」など)の話が知られ付け加えられたのでなければ、このあたりに八菅の修験者の影響が大きかった、ということだろうか。

また、他の話と比して、旗および鈴を忌むべきものとしてはっきり表現しているところが目を引く。八菅山のほうでも不吉を感じたと語られるが、こちらはより顕著だろう。これには、幡には中将姫の残念がある、という話があり、参考としたい(「落幡の由来」)。