あやしい旗

原文:神奈川県平塚市


夏のついさかりのことでした。田んぼの草とりをしていた人が、ひと休みしようと、あぜにあがって、ふと空を見ると、おかしなものが見えました。

ちょうど八菅(いまの愛甲郡愛川町)の山の上に、なにやら白いきれのようなものが、ふわーり、ふわーりとういていたのです。

「なんだ、ありゃ……。」

よく見ると、それはながいのぼりの旗のようなものでした。しかも、そのはしには、まるい大きな鈴がついていました。でも、旗なら、それをむすんである旗ざおがあるはずですが、そんなものは、どこにも見あたりません。

──ああ、どこからか、風にのって、とばされてきたんだな。そのうちにゃ、下に落ちてくるだろう……。──

その人は、そうおもいました。

ところが、その旗のようなものは、いっこうに下に落ちてくるようすはありません。それどころか、まるで生きものみたいに、おなじところに、ふわーり、ふわーりとういていたのです。

そのうちに、田んぼにでていた、ほかの人たちも、これに気がついて、さわぎだしました。

「なあに、そのうちにゃ、風にふかれて、どっかへ、とんでいくべえよ。」

もの知りの年寄りが、そういいました。

けれども、その旗のようなものは、どこへもとんでいきません。そのうちに、風がふいてきました。旗が風にふかれて、ばたばたとたなびきだしました。こんどこそ、どこかへとんでいくだろうとおもって、みんなが旗を見つめました。すると、旗がばたばたするたびに、旗のはしについている鈴が鳴りだしたのです。

キーン! キャーン!

それがまた、なんともいやな音でした。みんなはおもわず顔をしかめて、歯をくいしばりました。そうしないと、歯がうきだしそうだったのです。でも、歯をくいしばっただけではだめでした。耳の下のほうがいたくなり、なまつばがたくさんでてきて、気持ちわるくなってきました。

「こりゃだめだ! あれはばけものだ!」

また、もの知りの年寄りがいいました。

そこで、人びとは、八菅の修験者のところへ、なんとかしてほしいと、たのみにいきました。修験者というのは、おまじないやおいのりで、病気をなおしたり、ばけものを追いはらったりすることができる人でした。

みんなの話をきいた修験者がいいました。

「なるほど、そのきみのわるい旗を追いはらえばよろしいのですな。仲間をあつめて、なんとかしましょう。」

八菅の修験者は、さっそく仲間をあつめて、山へでかけていき、夜昼ぶっとおしで、悪魔ばらいのおいのりをしました。そのかいがあって、山の上の旗は、ゆっくりと、ゆらめくように、ふわあ、ふわあと、南西のほうへとんでいきました。

旗がゆらりゆらりと、善波(いまの伊勢原市内)の上まできたとき、待ちかまえていたものがいました。それは善波の太郎という弓の名人でした。

──あれが、八菅の人たちを苦しめたばけものだな。──

善波の太郎は、さっそく弓に矢をつがえて、きりきりっと、つるをひきしぼり、あやしい旗をめがけて、矢をはなちました。

「ぴゅうっ!」

矢は風を切って、旗のまん中をぷすっといぬきました。すると旗は、まるでへびのように、苦しそうにのたうちまわり、あの、いやな音のする鈴を鳴らしました。

その音をきいて、善波の太郎も、さすがにいやな顔をしましたが、そこは弓の名人です、すぐに、つぎの矢を弓につがえ、こんどは、そのいやな音をたてている鈴をねらって、矢をはなちました。

矢はねらいどおり、鈴をいぬきました。そして、鈴と旗は、空で、くるくるとまわりながら、べつべつになって、落ちていきました。

そのときから、旗の落ちたところを落幡(いまの秦野市)、矢の落ちたところを矢崎、鈴の落ちた川を鈴川というようになったそうです。

岡崎・豊田

『むかしばなし 平塚ものがたり』
山中恒(稲元屋)より

追記