七桶の里

神奈川県横須賀市


長沢に昔七桶(なおけ)という里があった。そこに老婆とその息子で漁師の与助の二人暮らしの家があったが、ある年の瀬、不漁続きで困っていた。そんなある日、与助が正月の小遣い稼ぎに小舟を海へ出し、三つ磯に行くと、磯の上に大蛇のようなものが二、三匹見えた。

恐る恐る近づくと、それは見たこともない大蛸の足で、これを一本持っていけば売るのに一日かかる、と与助は喜び勇んで鉈で足を一本切って引き上げた。老婆に話すと、近所の若衆に話すなということで、その日から与助は日に一本大蛸の足を切って売っていった。

そのときの不漁は深刻で、皆正月の支度ができないどころか、血を吐いて死ぬ子どもが出るほどであったが、そんな中毎日獲物を桶に持って来る与助に近所の若衆たちも首をかしげていた。

ところが、与助が大蛸の七本の足を切り売り、八日目八本目の足を切ろうとした時、ふいに大蛸が暴れ最後の足で与助に七巻も巻きつき、海へ引きずり込んでしまった。それでこの里を七桶というようになったのだという。

『北下浦郷土誌』
(北下浦郷土誌編集委員会)より要約

追記

現在の長沢二丁目あたりに七桶・長岡という小字があったようだ。長岡も七桶からの転訛ではないかともいう(田辺悟『三浦半島の伝説』)。ともあれ、葉山町にもある「七桶」の地名と蛸の足の八本目の伝説がこちらにもあったということである。

こちら長沢七桶のほうも、これを引いた類書では概ね、与助が欲深く蛸を独り占めしようとした、という点のみが語られる。しかし、上に見たように、地元の話には、その背景に不漁による飢饉の年であった、という極めて重要な点が語られている。

そもそもこの蛸の足の八本目の伝説というのは救荒食としての蛸(およびそのための備えとしての秘密の蛸穴)の話なのじゃないか、という面があり(「タコ穴」など参照)、話の背景に飢饉を語るこの長沢七桶の話は大変重要なのだ。

また、その冒頭に三つ磯の上に大蛇のようなものが見えると、暗に蛸足が蛇のようだといっている部分があるが、その三つ磯とは大蛇が落とした大石なのだと語る土地なのでもあった(「大根石」)。蛸の話が竜蛇伝説に近づくところ、という点でも、参照されるところだろう。