七桶の里

原文:神奈川県横須賀市


長沢の長岡は、昔から堂前(どんめえ)、橋戸、窪、七桶(なおけ)、ふきり丁の五つの里からなっていた。

昔七桶の里に、老婆と与助という息子の二人暮しの漁師がいた。来る日も来る日も不漁で困っていたが、与助は正月も間近かのある日、小遣い銭を稼ぐため、小舟を出して沖へ向かった。三ッ磯付近まで来ると磯の上に、何か大蛇のようなものが二、三匹見えた。恐る恐る舟を近付けて見ると、何んと大きな蛸の足が、二、三本磯に巻きついていた。与助は今までに見たことのない物凄い大きな蛸の足、一本持っていけば、売るに一日はたっぷりかかる。それに正月も間近で、これは凄い大漁だ。いい稼ぎだ、と思いながら、どうして切ろうか思案にくれたが、幸い鉈を持ってきていた。静かに舟を磯に寄せ、鉈を大きく振り上げ、一刀のもとに一本の足を切り落とし、手早く舟にたぐり、意気揚々引き上げてきた。そのことを老婆に話すと、「与助っ、近所の若衆に決して話すんじゃねえぞ、早くいって売ってこ、あしたもそこへいって捕って来んだぞ」。

そして明日もそこへ行き、一本の足を切ってきた。毎日一本づつ切ってきては桶に入れて売りにいっていた。近所の若衆は、首をかしげて話し合っている。「この不漁のときに、与助は毎日沖へいくが、何を捕って来るのか」と不思議でならなかった。里の人は不漁のため正月の着物も、ご馳走も買う事ができず、幼い子どもは、可哀想に血を吐いて死んだ子もいたそうである。与助は、次々と七本の蛸の足を切り桶に入れて売りつくした。

今日は、八日目、最後の一本の足を切る日であった。与助は、喜び、胸をおどらせて舟をこぎ出し、磯に近付いて残っている一本の足を目がけて、大きく鉈を振り落とそうとしたその瞬間、一本の足が大きく暴れ狂い、与助の首から胴に七巻きも巻きつき、海中深く与助を引きづり込んでしまった。十二月二十九日、あと三日で正月がくるという日のできごとである。それからこの里を誰いうとなく、七桶の里と呼び、今でも古老は七桶といっている。

『北下浦郷土誌』
(北下浦郷土誌編集委員会)より

追記