でいらぼっち伝説

神奈川県相模原市中央区


以前、淵野辺駅周辺に鹿沼と菖蒲沼があった。昔、でいらぼっちという巨人が富士山を背負ってきて、あまり重いので大山に腰掛けて一休みした。そしてまた出かけようとしたが、富士山はもう根が生えたように動かず、背負い綱も切れてしまった。

代わりに藤づるを探したがみつからず、でいらぼっちは立ち去った。この時踏ん張った足跡が鹿沼と菖蒲沼だったのだそうな。悔しがって地団駄を踏んだ跡なので、じんだら沼ともいったという。また、この因縁で相模野には藤づるがないのだといわれる。

でいらぼっちの足跡は、矢部新田の村富神社の西側、清水小学校の北側、南橋本駅の東側、旭中学校の西側などにもあった。さらに、相模野の中ほどに幅一町ほどの南北に連なる低地があるが、これは巨人がふんどしを引きずった跡だそうな。近く、鎌を研いだという鎌とぎ窪などもあった。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より要約

追記

ふんどし窪・鎌とぎ窪は南区に入って麻溝台の方の話(同資料「ふんどし窪と鎌とぎ窪」)だが、付け加えておいた。どの「でいら窪」ももはや痕跡もわからぬようだが、かつてはこのように周辺地域に連綿としていたということだ。

これは近世に記録があって(「ダイラボツチの足跡」)、早くから記録の採取・検討が行われた地域ということもあろうが、やはり元からこういった話を好んだ地域だったということなのだろう。

その地域特性だが、ダイダラボッチの痕跡は凸地形をいう場合と凹地形をいう場合とがあるわけだが、「さがみっぱら」では顕著に凹地形に偏向して話があるのがわかるだろう。これはさらに南下して鶴間の方に行ってもそうだ(「東林間のデイラクボ」)。

一方、平野地帯を抜けて山地に入っていく津久井になると、巨人の事業も山と関係していく傾向に変わり、その変化ぶりも面白い(「デーラサマの山造り」)。