でいらぼっち伝説

原文:神奈川県相模原市中央区


横浜線淵野辺駅の西側に鹿沼という大きなくぼ地があり(相模原市立図書館西側)、また駅の南の線路の東側に接して菖蒲沼というのがある。両方の沼の間の距離は約四〇〇メートルほどある(現在鹿沼は川崎水道を掘った土で埋められて、市の公園となっており、菖蒲沼の方も新日鉄に隣接していて、これも埋められてしまった)。この二つのくぼ地が「でいらぼっち」伝説の舞台である。

むかし「でいらぼっち」という巨人が、富士山を背負って相模野にやって来た。あまり重いので少し疲れ、「どれ一休み」と、大山(雨降山)へどっかと腰うちかけて一息いれた。やがて出かけようとして、「どっこいしょ」と立ち上がろうとしたが、富士山に根が生えてしまったものと見え、どうしても持ち上がらない。そのうち背負い綱までぽっきりと切れてしまった。そこで背負いなおそうとして、藤づるを広い原中探し求めたが、どうしても見当らない。仕方なく「でいらぼっち」はあきらめて、そのまま立ち去ってしまったそうである。立ち上がろうとした時に、力足を踏んでめりこんだ足跡が、鹿沼と菖蒲沼だといわれている。また口惜しがって、じだんだを踏んだというので、一名「じんだら沼」ともいうそうである。探し求めて見つからなかった藤づるは、この時の因縁から、今でも相模野には無いといわれている。

そしてここまで「でいらぼっち」が、のっしのっしと歩いて来た足跡は、点々と続いて残っていて、矢部新田の村富神社の西側、清水小学校の北側(南北に長い千二百坪ほどのくぼ地であったが、最近埋めたてられた)、相模線南橋本駅の東側、旭中学校の西側などにある大きなくぼ地がそれだといわれている。また相模野の中ほどに幅一町ほどの南北に連った低地があるが、これは巨人が「六尺ふんどし」を引きずった跡だといわれていることは、下溝地区のところで述べることにする。

「でいらぼっち」というのは、大太郎法師というのがなまったのだという説があり、この巨人伝説は全国各地にひろがっている。特に近いところでは、隣りの大和市や、ここから境川をこえた東京都南多摩郡などには、これに呼応したような話はいくらでも残っているようである。

付:ふんどし窪と鎌とぎ窪(南区)

大坂をのぼり、鹿沼をこえて上の原に出ると、南北に長い凹地がある。一の窪・二の窪などといっているが、また一名ふんどし窪・鎌とぎ窪とも呼ばれている。これは淵野辺のところで記した「でいらぼっち」に関係あることなのである。「でいらぼっち」が富士山を背負いこの原に来て、大山に腰をかけひと休みし、さて立とうとすると背負っていた藤づるを探した。その時六尺ふんどしのはしが解けているのも知らずに、引きずりまわった跡がこのふんどし窪だという。また藤づるを切るため、手にした鎌をといだ場所が、鎌とぎ窪だといい伝えている。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より

追記