小沢城落城悲話

神奈川県相模原市中央区


愛川町の河岸に迫る坂上に小沢城址がある。文明年間、城主金子掃部助は太田道灌の攻撃を受け、城は落ちた。息女には許嫁もおり、挙式の晴着も用意できていたところの悲運であった。姫はせめてあの世で許嫁と添わんと、一世一代の晴着姿で崖上から相模川へと身を躍らせた。

すると不思議なことに、麗しかった姫の姿はたちまち大蛇と化し、望地対岸の六倉の岩鼻に打ち当たって飛沫を上げた。その飛沫が中津に水溜りを作ったほどだったという。この呪いにより、通れば不縁になるといって、今でも花嫁は城坂を通らない。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より要約

追記

文中にもあるように小沢城(こさわ城・現在の城址ではなく古城のほう)は相模川右岸愛川町になるのだが、そちらではこの伝説はあまり語られず、姫が蛇になったというのはもっぱら左岸側に語られる。望地あたりで語られたものだろうか。

話がややこしくなるのは、この蛇体の姫が相模川を流れ下ったところの式内社にして蛇体の神であるという、有鹿神社の有鹿比女命と混交して行くところだ。

有鹿神社には、上の姫蛇が神社裏に流れ着き死んだので、有鹿姫の名を贈って境内に葬った、という話がある(「伝説 有鹿姫」)。またそちらでは、姫の許嫁とは海老名氏の若君で、城が攻められたとき姫は海老名にいたという筋になっている。

そして中間の磯部地区には、有鹿の蛇神に関する大角豆の禁忌を持つ家があるのだが、これが小沢城の姫蛇の話になったりもする(「大角豆を作らない由来」)。そちらでは婚姻を嫌がって投身するという筋なのだが、確かに影響はあるだろう。

これらどこまでが神の話で、どこからが中世の姫の話なのかというのも難しいが、小沢城落城の時代なら、榛名湖の木部姫よりは百年近くも昔だ。武州比企の似たような松山城の話も(「龍の枕石」)十六世紀末であると思えば、小沢城の姫も十分に竜蛇神になれるだろう。