小沢城落城悲話

原文:神奈川県相模原市中央区


久所・滝部落から相模川を隔てた対岸、愛甲郡愛川町の河岸にせまる城坂上に小沢城址がある。

時は文明年間、城主金子掃部助は長尾景春にくみしたため、上杉方の属将太田道灌の攻撃を受け、溝呂木城(厚木)・磯部城(市域下磯部)などとともに、文明一〇年四月一八日落城した。

その時掃部助の息女は、すでに夫とすべき許嫁の人もきまっていて、挙式の際の晴着もできていたが、不幸落城の悲運に際会したので、痛恨やる方なく、せめてそも晴着を着けて死出の旅路を飾ろうと、粧いを凝らし一世一代の晴装束で、燃えさかる懐かしの城を後にして、相模川を見おろす断崖の上に立った。そしてはるかに二世の契りを約束した許嫁の相手のおる彼方の空を見つめつつ
「この世で結べぬ契りなら、せめてあの世で友白髪まで」
と堅く心で誓いながら、身を躍らせて打掛の裾をひるがえし、ざんぶとばかり激流のまん中に跳び込んだ。

すると不思議や、眉目麗わしい姫の容姿は、たちまち変る恐ろしい竜蛇の姿態、身をうねらせて相模川を下り、田名の望地の対岸六倉の岩鼻に打ち当って胴体を震わせると、水の飛沫は高く揚り、中津の原までとんで行って、水溜りができたほどであったと伝えられる。蛇体に変ずるのはあながち日高川の清姫ばかりでなく、純情の乙女の悲恋の恨みというものは恐ろしいものである。その呪いはなお今日まで残り、城坂の道を花嫁が通る時は必ず不縁になるといわれて、ここの通行は堅く禁じられている。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より

追記