霧ヶ池のぬし

神奈川県横浜市緑区


昔、一帯が鬱蒼とした森林だったころ、霧ヶ池と呼ばれる池があった。一日に七度も水の色を変え、日照りにも涸れぬ神秘の池で、池の主の大蛇が住むといった。池のある霧ヶ谷は周りと比しても一層に薄暗い所で、山仕事を終えた村人は足早に家路を急いだという。

霧ヶ池に異変が起こったのは二九〇年前のことという。宝袋寺の住職の夢枕に大蛇が美女となって現れ、霧ヶ池が住みにくいので、石の祠を建てて清めてほしい、と切願したのだそうな。和尚は檀家の人に話したが、当時石祠を建てることは不吉なこととされていた。

それでも相談の結果、石祠を建てたのだが、池の面は一変してどんより濁り、静かな池になってしまった。池の主の大蛇が逃げてしまったのだ。その直後、江戸の洗足池で池の水の色が七度も変わる異変があったという。しかし、この異変は十日もたたずに元に戻ったそうだが。

もうひとつの伝説として、霧ヶ池の雌の大蛇は洗足池の雄の大蛇のもとへ通ったという話もある。十日市場の人が用事で江戸へ馬を引いて行った帰り、美女に頼まれ十日市場まで馬に乗せて帰った。その美女はお礼に三、四枚の小判をくれたが、帰ってよく見ると蛇の鱗であったという。

『緑区史 通史編』緑区史編集委員会
(緑区史刊行委員会)より要約

追記

かつて一帯は幾つかの谷戸が枝分かれする土地であったというが、今は多く拓かれ霧が丘の地名となっている。池は霧が丘高校の北東、今霧ヶ池公園となっているあたりにあったといい、公園内に上の伝の大弁財功徳天社がある。

それにしても良く分からない話だ。大蛇が石祠を建ててくれ、と頼んだのに、建てたら去ったとはどういうことだろうか。祀り方を間違えた、という話だろうか。

帷子川のほうには、各地の池には弁天が祀ってあるが、それが蛇除けになっていて、祀らぬ池に大蛇が棲みついてしまうのだ、と語る例がある(「堂谷戸の大蛇」)。あるいはそのあたりの感覚が関係するのか。

堂谷戸はほんの二キロほどの距離の土地であり、また霧ヶ池の大蛇はそちら二俣川の大池に一旦移ったという話もある(『横浜の民話』横浜市PTA連絡協議会)。途中から話が混線してくるということはありそうだ。

というのも、霧ヶ池の別伝として、この祠に雨乞い祈願をしたら恵みの雨があった、という話もあるのだ(「霧ヶ池」)。と、いうより石祠にはその雨乞いの験ありの文言が刻まれているという。

夢枕の話が元禄あたり、雨乞いの話は明和なので、大蛇が去った後に雨乞いの験があったという奇妙な話になってしまう。これらのどの部分を主軸として見るべきか、よくよく考えるべき話といえる。

また、どういう関係があるのか大田区千束の洗足池の雄大蛇との縁が語られているが、洗足池のほうには対応する話はない。別に雌蛇が洗足池に輿入れしたという話はあるので(「洗足池へお輿入り」)、洗足池の大蛇は雄、という感覚はあったようだが。

なお、大蛇の美女を馬で送った人は、その後大変裕福になったと『十日市場の歴史』に語られている。そういう旧家の家伝もここには含まれているらしい。