霧ヶ池

神奈川県横浜市緑区


今はもう埋立てられたが、霧ヶ丘高校の近くに霧ヶ池という十メートル四方ほどの小さな池があった。十日市場が開発される前は鬱蒼として気持ち悪いくらいの所であったという。耕雲という旅の僧が住んだが、さすがに住みにくく去ったなどという話もあり、耕雲谷などという地名もある。

霧ヶ池の水は決して涸れることなく、近隣の田畑を潤したので、古くから弁天様が祀られ敬われていた。明和七年のこと。続く日照りで皆困り、宝袋寺や、大林寺の坊様によって霧ヶ池で雨乞いが行われた。そのときは、祭壇の蝋燭立に蛇が現れ巻き付き、途端に大雨が降ったという。

それで霧ヶ池の弁天様は有名になり、いろいろの願いをかけにお参りに来る人も多く、毎年六月八日の縁日はたくさんの人でにぎわったという。その池もなくなり、雨乞いの話も忘れられるのだろうか。

『十日市場の歴史』高橋一雄
(十日市場小学校)より要約

追記

霧が丘高校の東北に霧ヶ池公園があり、そのあたりに池はあった。公園内に祀られる大弁財功徳天社が上の弁天さんである。

さて、このような雨乞いの験が語られる池と弁天さんで、石祠には明和八年の旱魃のことが刻まれているというのだが(『横浜の民話』横浜市PTA連絡協議会)、一方ですでにその前に池の主の大蛇は去ってしまった、という話もある。

それは元禄辺りの話と思われるのだが(「霧ヶ池のぬし」)、そうなると話がややこしくなる。主が去った契機は宝袋寺の和尚にあるのだが、その寺が雨乞いもしているので、別の人々による話というわけでもないらしい。そちらの話のほうにもあたられたい。