霧ヶ池のぬし

原文:神奈川県横浜市緑区


昔、霧ヶ池がうっそうとした森林におおわれていたころの話である。ここに「霧ヶ池」と呼ばれていた深さを計り知れぬほどの池があった。一日に七度も水の色を変え、神秘の池として、近郷近在の人々に知られていた。いくら日照りが続いても、この池だけは湧水が豊富で、かれたことがなかったという。そして霧ヶ池には、池の主である「大蛇」が住んでいたという伝説を、十日市場の人たちは今でも語りついでいる。

かつて、この付近は十日市場村に属し細谷、鉄谷、霧ヶ谷と呼ばれた谷戸が樹枝状に入りこみ、複雑な地形をなしていた。霧ヶ池は霧ヶ谷の奥まったところにあり、この付近が最もうっそうとした樹木がおい茂っていたところである。昼なお薄暗く、夕闇がせまるころには一層の静寂さが、あたり一帯ただよっていた。一日の山仕事を終えた村人たちは、足早に家路を急いだという。

霧ヶ池の真ん中には、弁天さまを祀った島があり、祠の脇に大人二人でやっとかかえられるほどの椹の大木がそびえたっていた。泥沼と化した池の面には、実生木や菖蒲などが繁茂し、新緑の季節になると、池は、木々のやわらかい緑や菖蒲などの草木が咲き乱れ、さしこむ光とともに美しいコントラストを見せていた。この霧ヶ池に異変がおこったのは、およそ二九〇年前のことであった。十日市場村の宝袋寺の、時の住職一〇世玄山活道大和尚の夢枕に、霧ヶ池の主である「大蛇」が、その姿も美女にかえて現れ「霧ヶ池がどうしても住みにくいので、是非とも石の祠を建てて清めて欲しい」と切願されたという。活道大和尚は、驚き檀家の人々にこの話をされた。当時石祠を建てることは不吉なこととされていたが、相談の結果忌むべき石祠を建てることに決めてしまった。するとどうだろう。石祠を建てたことにより、池の面は一変してどんより濁り、静かな池になってしまったとの事である。池の主の大蛇が逃げてしまったそうである。その直後、江戸のとある池で、霧ヶ池と同じような異変がおきた。洗足池がそれで、池の水はきらきらと輝き、七度も水の色を変え、大変な噂になったという。しかし、洗足池は、一〇日もたたずして、元の静かな池に戻ったとのこと。

もう一つ霧ヶ池の伝説として、昔オスの大蛇が江戸の洗足池に住み、メスの大蛇が霧ヶ池に住んでいたという。ある日のこと、十日市場の村人が江戸へ用事のため馬をひいて出かけていった。村人は出先で用をすませ村へ帰る途中、それは美しい婦人に「十日市場村の四辻までいっしょにつれていって下さいませ」とたのまれ、馬の背にのせて村の四辻まで送り届けてあげた。婦人は別れぎわに、お礼にといって小判を三〜四枚くれたそうである。村人は大層喜んで小判を受け取った。ところが家へ持ち帰りよく見たところ、それはなんと蛇のウロコであった。霧ヶ池のメスの大蛇が、オスの住む江戸の洗足池に会いに行ったという(相澤雅雄『横浜・緑区歴史の舞台を歩く』昭和書院 一九九一年、同『十日市場村誌』)。

『緑区史 通史編』緑区史編集委員会
(緑区史刊行委員会)より

追記