堂谷戸の大蛇

神奈川県横浜市旭区


昔、下川井の五反田に油屋と呼ばれる家があった。この油屋のせがれが、いつものように帷子川の上流の小川へこえ桶を洗いに行った。ふと見るといい丸太が川を渡っているので、これは丁度良い、とその丸太の上で桶を洗い始めた。

ところが丸太が急に動き出し、せがれはあわてて丸太から飛び降りた。丸太は大蛇で、歩いた跡をつけると長源寺のすぐ手前の堂谷戸の池まで続いていた。油屋のせがれはこのとき大蛇の息を吹きかけられ、長いこと寝付いてしまったそうな。

あとでわかったことだが、この大蛇は六角橋の大池の大蛇だった。たいがいの池には蛇除けに弁天様が祀られているのだが、六角橋の池と堂谷戸の池には弁天がなかったので、大蛇は両池を行き来していたのだ。

『旭区郷土史』(旭区郷土史刊行委員会)より要約

追記

長源寺は今も上川井にあるが、池というのは見えない。その辺りから600mと少し下手に五反田橋という橋があり、油屋というのはその付近にあったのだろう。

六角橋というのは神奈川区の六角橋(大字)に違いないが、名を知られるような池というのは思い当たらない。近くの三ッ沢から西隣の保土ヶ谷区峰沢町にあった三ッ沢池のことだろうか。帷子川を行き来した、という話なのだとしたら少し離れるが。

ともあれ、大蛇が行き来していたという話であり、白根のほうにもそういった話があり、土地の好みだろうか(「白根不動の龍」)。帷子川という川にはもっと注目すべきかもしれない。

また、池に弁天を祀っていなかったので大蛇が棲みついたのだという見解は面白い。緑区のほうには大蛇に頼まれ石祠に祀ったが、そのため大蛇が去ってしまうというよくわからない話がある(「霧ヶ池のぬし」)。一脈通じるものかもしれない。