枠ヶ渕の蛇

門部:日本の竜蛇:四国:2012.05.10

場所:愛媛県北宇和郡鬼北町
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系12』(みずうみ書房):「枠ヶ渕の蛇」
タグ:竜宮淵


伝説の場所
ロード:Googleマップ

かつては広見町だった所の「出目」というところで採取された話。出目(いずめ)は、さらに古く一帯が「泉村」だったことから泉の転訛だと考えられる。しかし、そもそも池沼の類を眼(まなこ)とする例は多く(「ヤチマナコ」など)、出目という字も古くから泉は眼だとの認識があった反映かもしれない。ともかく今の出目駅のあたりのことだと思われるのだが、探してみても「枠ヶ渕」という所は見つからなかった。話に見る限り川の淵だというのだから三間川か奈良川の淵だと思うのだが、検索しても出て来るのはこの「龍学」だけである(笑)。これはかなり痛恨だ。

鬼北の山々から宇和島を望む
鬼北の山々から宇和島を望む
レンタル:Panoramio画像使用

実は、宇和島市から鬼北町とは、九州の話ではすでに頻繁に触れている、豊後に蛇祖伝説を伝えた緒方一族の末が十六世紀に進出した土地なのである。鬼北町の吉波の方には今でも緒方という大きな庄屋があるそうな。ことと次第によれば伊予に蛇祖伝説を伝えるもう一方の雄、『予章記』を残した伊予水軍・河野氏とも関係するかもしれない。詳しくはまた別の機会に述べるが、このような次第で一帯の竜蛇譚はできる限り細かなことを調べあげたい所なのである。

これが実際の淵の場所が分からずというのは痛い。中々文書記録からだけではままならぬ所が多いものだが、ともかく話を見てみよう。原文語り口で意味のはかり難い所もあるのだが、ひとまず均した文にして要約する。

三間川
三間川
レンタル:Wikipedia画像使用

枠ヶ渕は川の渕だったが、深く潜っても底までは息の続くことがない深い淵だった。その昔、いつの頃かは分からないが、漁師がいて、渕の下流に網を張って漁をしていた。しかし、毎日毎日網を張ったが、魚はいるのだが、あまり捕れなかった。
そんなある日、網を干していた所へと行って見ると網がない。これは不思議なことだと見ると、そこからずっと糸が渕の中へと伝わっていた。網を取り戻そうと漁師は渕に潜った。息が長い人だったので奥の奥まで潜り、ついには空の明るい洞窟の中に出た。その洞窟の中には、綺麗なお姫さまのような人がいて、枠を繰って(糸巻きを巻いて)、糸を引いていた。漁師は「網をとられたのだが、ここにとってきてあるのじゃないやろか」と尋ねた。すると、お姫さまは「とってきてあります」と答えた。
漁師がなんでそんなことを、と言うとお姫さまは「それは差し上げます。早くとって帰りなさい」と言う。漁師はそこで非常に大きな鼾のような音が聞こえることに気がついた。良く見ると、向こうに大きな蛇がとぐろを巻いて寝ているのが見えた。お姫さまは「その目を覚ましたら、いけませんから……」早く網をとって帰れと言う。そして、「投げ網には必ずとも鉄をつけなさい」と言った。そうすればここへ持ってくることはできなくなるから、と。
それから鉄の鎖をつけるようになった。蛇神さまとして拝むような際は、釘を使わないで竹針を使った。また、このことがあってから、その渕を枠ヶ渕というようになった。

みずうみ書房『日本伝説大系12』より要約

私は(まだその関係は分からないが)、この話が緒方一族縁の地に語られたことは大変注目に値すると思う。緒方一族に直結する話はまた別に稿を立てるが、鬼北町には当然のように苧環型の蛇聟譚も語られている。この辺りは各地の蛇聟入譚を調査された「地域神話の風景とフィールド」の著者佐々木高弘氏(京都学園大学教授)がすでに報告をされているので参照されたい。

「愛媛編」(webブログ「地域神話の風景とフィールド」)

で、『大系』には「枠ヶ渕」の話は蛇が鉄を嫌うというモチーフの方で収録されているようなのだが、今回考えてみたいのは「そこからずっと糸が渕の中へと伝わっていた」というところ、これと苧環の糸との関係について、すなわち「あちらとこちらを結ぶ糸」というモチーフについてである。

竜蛇譚には二方向の「糸」がある。通ってくる蛇聟の正体を追って見破るときの苧環型の「糸」と、淵の機織姫(下っては女郎蜘蛛)が水上の人間に掛けて引き込もうとする「糸」である。
蛇聟入:苧環型に関しては
五十嵐小文治」や「小河内山の蛇婿
または、
蛇婿入り譚・類型」を参照。

機織姫と女郎蜘蛛については
機織姫と女郎蜘蛛」を参照。

今回の枠ヶ渕の話は、実にその中間的な意味合いを語っているのだ。そして、これは本質的には同じものだと私は考えている。少し、この線にある幾つかの話を見てみよう。まず、すぐお隣の宇和島市に次のような話がある。

宇和島市:庄屋に一人娘があった。娘は蛇と通じ、大蛇のひいた白糸についていって瀧壺に入ってしまった。娘の親が娘を捜して瀧に入ると瀧の下には青畳が敷いてあり、娘と大蛇がいた。娘は蛇に連れられてここに来たためもう帰ることは出来ないといい證文を書いた。娘は、この證文を雨乞いの県画として瀧壺にかけると雨を降らすと約束した。その年は日照りであったが、瀧壺のまわりで祈願をすると、小さい蛇が降りてきて、雨が降ってきた。庄屋の家は絶えたが、この県画は残っており、神官が保存している。今でもこの瀧壺での祈願は有効的である。しかし、他村の人が行っても、蛇は出てこず鰻が出てきて雨を貰うことはできない。(民間伝承 10巻5号通巻103号)

「怪異・妖怪伝承データベース」の要約

「しかし、他村の人が行っても、蛇は出てこず鰻が出てきて」というところで笑ってしまうのだが(笑)、それはさて置き、男のヌシが糸を引いて人の娘を呼び込んでいるのだ。このような話もあることから、「糸を引く・辿る」話は本質的には双方向のベクトルを持つものだと私は思う。

そのことは特に椀貸し淵の一系に、願いのものを短冊に書いて「糸巻きにその短冊をつけて」滝淵のそばにおいておくと、その願いのものが届けられる、という型があることでよりはっきりしてくるだろう。この話型は『まんが日本昔ばなし』に「機織淵」(武蔵)として収録されていたのでご存知の方も多いと思う。

『まんが日本昔ばなし』「機織淵」
『まんが日本昔ばなし』「機織淵」

武蔵の「機織淵」では、木こりが斧を淵に落として、取ろうと潜ると竜宮があり、乙姫さまと快談の後お土産に糸巻きをもらう。後、村人たちが怪しんで糸巻きの秘密を知り、取り上げてあらん限りの要求を短冊にして糸巻きにつけたら乙姫さまあきれてもう願いをきいてくれなくなった、となる。苧環型の糸は「(蛇)聟の正体を知るため」と言えばそうなのだが、一歩引いてみれば「ヌシの住処と人の住む世界が糸で結ばれている状態」ということで、先の「機織淵」や「枠ヶ渕」の見せる光景と非常に近しいのだ。

そして、これらがもし同一のイメージから発しているのだとすると、それはおそらく「海に垂らした釣糸(と釣針)が、あちら(竜宮)にとどき、あちらとこちらの間の接続がもたれる」という大枠を示すことになるのではないかと思う。つまり日本では海幸彦・山幸彦の話に見る「釣針型神話」のことだ。「釣針型」は「なくした釣針を求めて」とうモチーフがオーストロネシア語族の分布域に共通するのだが、より素朴には垂らした糸と針が竜宮にとどいた、だったと見ても良いと思う。

このように一連の神話モチーフがセットであり、これが南方系の出自を持つものであり、九州緒方一族という海人族がそのセットを持っていた……のか否か、という所が問題となってくるのだ。そのような意味で今回の「枠ヶ渕の蛇」は重要だ、と言ったのである。

さて、これは「日本の竜蛇譚」の管轄外になるのだが、一般的には「苧環型」の蛇聟譚、三輪山型伝説の系統というのは唐の張読編『宣室志』の蠐螬(すくもむし・コガネムシの幼虫)の話あたりを源流として、『三国遺事』の百済の武王と竜蛇、後百済の甄萱と蚯蚓などを経て日本に伝わったものとされる(もちろん『三国遺事』の元資料となった何か、ということ。念のため)。

しかし、これだと今回見た南方系の神話モチーフとの親和性というものが見えてこない。無論、苧環型の話は中国から来て、「似たような」竜宮と糸の話と合流したのだ、と見ることもできる。できるが、私は現状「それでは足りない」ように感じている。そのような、かなり大がかりな東アジアとオーストロネシアの二大潮流の渦巻くテーマへも、ここから「糸が引かれる」ことになるのだ、ということも少し覚えておかれたい。

memo

枠ヶ渕の蛇 2012.05.10

四国地方: