小河内山の蛇婿

門部:日本の竜蛇:近畿:2012.02.14

場所:兵庫県宍粟市千種町
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系8』(みずうみ書房):「小河内山の蛇婿」
タグ:蛇聟入り/佐用姫


伝説の場所
ロード:Googleマップ

竜蛇が人の男の姿になって人の娘をかどわかす、という話型を民話では「蛇聟入り」という。日常のこととして娘に貞操を守らせるというきわめて現実的な教訓を含むため、大変広く多く語り伝えられている。即ち伝説(時と所を固定して語られる)というより民話(昔話・舞台は固定されず、どこの土地でも語り伝えることができる)として話数が膨大となるのだが、民話から再度土地の伝承として伝説化した部分も多く、漠然とした扱いをせざるを得ない面も大きい話ではある。

そうではあるのだが、圧倒的な話数からいって「日本の竜蛇譚」でも頻出することは間違いなく、そろそろ典型的な一話をあげておきたい。『播磨国風土記』にも「敷草村」と名の見えるタタラの里、千種に伝わったお話。

小河内山の蛇婿:
昔、小河内山の七本杉の蛇が、岩野辺のキトラ家の娘に懸想し、夜毎若武者姿となって訪れた。これに気付いた母親お藤は、若武者の正体を見届けるため、紡ぎためた麻糸を針に通し、娘に意を含め、その針を若武者のはかまに刺させた。
翌朝その糸を頼りに小河内川の淵(蛇淵)に行き、水底から聞こえる会話によって、若武者は大蛇で鉄の中毒により死に瀕しており、娘は妊娠中で、もし節供の菖蒲酒(一説にカネ=鉄漿汁)を飲まねば、何百の子が生まれることを知り、急ぎその手当をすると、娘は数日後に七盥半(一説に八匹)の子を死産して果てた。この母娘の墓は花藤の墓といい、キトラ家の屋敷跡はお花屋敷と呼ぶ田である。なお、死産した大蛇の子は、忠佐護神社として祭り、その霊を慰めている。(『千種』)

みずうみ書房『日本伝説大系8』より要約

こちらに動画でお話が公開されている。実写の土地の様子も少し見える。

『お花屋敷と忠佐護神社』(webサイト「しそうSNS E-宍粟」)

『お花屋敷と忠佐護神社』
『お花屋敷と忠佐護神社』
リファレンス:しそうSNS E-宍粟画像使用

また、蛇聟入りの話型に関する分類などは「蛇婿入り・類型」を参照されたい。

この千種の話は「針糸(苧環)型」で相手の正体が知れ、「立ち聞き型」で対処法が知らされ、蛇は鉄の毒によって死に……ときわめて典型的なモチーフが連続する構成となっている。菖蒲・鉄漿を蛇が苦手とするというのも典型的だ。また、子を盥におろす型を「盥型」というが、これは本来は盥にはった「水鏡を娘に見せると蛇の子がおりる」というものであることを覚えておきたい。この「蛇の子をおろす」といういささかえぐいモチーフが蛇聟では普通にあるので、現代の昔話からは姿を消しつつあるのですな。

さて、実際の土地のこととして、「お花屋敷跡」は先の動画にもあるようだが、「蛇淵」は消滅、「忠佐護神社」というきわめて興味深い名を持つ神社も今はないようだ。祠くらいは残っているかもしれんが。そして、今千種は宍粟市に入っているが、この南西隣は佐用町といい、佐用川が流れている。ここの「式内:佐用都比賣神社」が肥前の「弟日姫子と狭手彦(松浦佐用姫伝説)」となんか関係あるのかね、という話題もまま出るのだが、これもよく分からない。

「佐用都比賣神社」(webサイト「玄松子の記憶」)

現状全国の伝説シリーズではこのあたり特に佐用川の方とつなぐような類話も見えないのだが、地方史誌レベルになると何かあるのかもしれない。そのような土地の配置であることはよく心得ておく必要があるだろう。

小河内山の蛇婿 2012.02.14

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