コラム「数多い神社」(5/5)

門部:神社巡りの方法:2012.09.22

      

天王社

今は概ね八坂神社・津島神社となっている。もともとは疫病除けである牛頭天王を祀ったので皆天王社と言ったが、神仏分離令で素戔鳴命を祭神とすることになり、ここから八雲・須賀・素鵞という名となったお社も多い。現在公的には例えば須賀神社とかになっていても、扁額はまだ牛頭天王であるようなお社もある。また、単立の祠などは牛頭天王社のままであることも少なくない。

牛頭天王社(神奈川県小田原市風祭)
牛頭天王社(神奈川県小田原市風祭)
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このような次第なので以下天王社で統一するが、天王さんには広く共通してみられる由緒があり、「流されてきた神像を祀った」というのがそうだ。天王さんは流されるものだったのである。この点、常陸國は茨城県東茨城郡茨城町越安の素鵞神社が直裁にその理由を伝えている。

素鵞神社
素鵞神社
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この素鵞神社の御神体は少し離れた上土師という土地で疫病が流行った際に祀られたものだったが、験がなかったので里人が怒って涸沼川に投げ捨てたものが越安に流れついたものなのだそうな。しかし、私はこの話は本来「怒って投げ捨てる」ではなく、疫を神像に託して流す、という次第だったであろうと考えている。

これと対を成すのがエビスさんで、こちらは富のもたらすものとして「隣村が盗んでいった」と良く語られる。実際は持ち回されていたのだろう。どちらにしても禍福を象徴するものが移動する、という点で共通している。この移動範囲がかつてのその土地の広域共同体であった、とも言える。

ともかく天王さんに関してはこの「流されてきた」の伝承の有無をまず確認したい。その流れて来た元地が語られているようだとなお面白い。それがその土地の水系の昔の流路に合致していたりすると目が覚める思いがするものである。

牛渡の牛塚
牛渡の牛塚
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また、天王さんは牛頭天王であるので牛とも繋がる。同茨城県かすみがうら市、かつての出島には牛渡(うしわた)という地名があり、牛塚という古墳がある。伝説では霞ヶ浦対岸の美浦村から渡ってきた八幡太郎義家公を慕う牛が泳いで追ってきて力つきたのを埋葬したと言う(一方、反対常陸国府からやって来た国司を慕った牛が……という話もある)。出発側の美浦村の方の浜を牛込と言う。このあたりが菅原天神のところで言っていた、牛に慕われる貴人の話だ。

そして、美浦村牛込の方では反対のベクトルの天王さんの話がある。出島で嫌われた天王さんが流されて牛込に流れついたので祀った、というのだ。

美浦牛込から出島を望む
美浦牛込から出島を望む
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実際には出島で天王さんを嫌う、ということはなく、むしろ天王さんだらけの土地である。「流される」の意味が何であったか先に述べたが、これも本来疫を託されて流されたのであろう。この霞ヶ浦を渡る牛の話と、逆方向に流された牛頭天王の話が関係ないとは到底考えられない。供儀としての牛を意味するのか、牛そのものの水神格の性質か、その検討は難しいのだけれど、天王さんを見ていく際には、周辺牛の伝説がないかどうかを良く見ていくと面白い繋がりが見えて来るかもしれない。

さて、このような側面を見てくると天王さんは非常に水の信仰と近い所にあったのじゃないかと思えて来るわけだが、ズバリその変遷を伝えているところもある。遠州は静岡県御前崎市、かつての浜岡町の桜ヶ池は『扶桑略記』を著したとされる僧・皇円阿闍梨が龍と化して入定したという伝説の池だ。そして、今ここの池宮神社は水神格として瀬織津比咩神を祀っているが、かつては「池宮天王」だった。

桜ヶ池
桜ヶ池
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平安時代、国司藤原某が〝桜の前〟という美しい姫を従えてこの池前で宴を開いたところ、池から現われた「牛の化けた怪物」が桜の前をさらって遁走した、という伝説がまた一方にある。皇円阿闍梨の龍伝説の底には、牛鬼のような水怪の伝説があるのだ。池宮神社がかつて天王社であったことと、この牛の水怪の伝説が無関係ということはあるまい。めったにある伝説ではないだろうが、水と天王、という方向で見ていくとこのような伝説に行きつくこともあるわけだ。

そもそも牛頭天王は竜宮に嫁をもらいに行っており、御子神(これが所謂八王子)の一柱は「毒蛇気神」という名でもあって、もとより竜蛇信仰とは近い所におられる。祇園祭の時期の初生りの瓜(祇園の紋)の中には蛇が棲むともいい、川に流されたりもする。ここより先は牛鬼だの河童だの(東北には河童を「ごちてんのう」と呼ぶ土地がある)と話が大きくなるので、この場はここまでとするが、天王さんを見ていく上では、その土地の水系と「流された」という伝承に注目し、水神的な側面が見えるかどうかに注意をはらいたい。

もっとも、流行病に苦しまなかったという村里というのもないだろうし、苦しめば天王さんを祀ったわけで(明治になっても疫病があったので天王さんを勧請した、という話しが良く見える)、鎮守全てが脇に別格境内社として天王社を持つ、というところもある。これらが皆水の流れに呼応した天王信仰を持っていたなどということはまったくないので、無論これらの中から見つけて行く、ということではあるが。

蘇民将来子孫の木札
蘇民将来子孫の木札
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なお、天王さんと言ったら蘇民将来子孫の木札だが、その伝説を伝えるわけでもない、思いがけない土地に見ることもある(写真は神奈川県足柄下郡真鶴町)。見かけてどこでいただいてきているのか話が訊けると面白いだろう。まず目にして楽しい一品であるが、地域ぐるみで掲げているようなら立派な民俗だ。もし見かけるようなら、その土地の天王さんの探求に組込んでいきたいところである。

脚注・資料

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神社巡りの方法|四座 読 2012.09.22

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