コラム「数多い神社」(1/5)

門部:神社巡りの方法:2012.09.22

       

ここでは全国に数多く分布している神社に関して主に実地で注意したいところを述べる。「八幡神社とは……」といった総論的な面は割愛。カウントの仕方にもよるが、概ね多い神社十傑というと稲荷・八幡・伊勢神明・菅原天神・熊野・諏訪・天王(八坂・津島)・白山・山王(日吉・日枝)・山神……という感じとなるようだ。この中から特に私が訪ね歩いて注意すべきことがあると思った例をあげていこう。

八幡神社

それぞれの土地の鎮守の八幡神社を見ていく際に、実地で注意していきたい点は、まず「数が多い」ということそのものである。勧請理由が様々なのだ。武家の領主が守護として創建したもの、それまでの守護神を八幡と改変したもの、大地主などがこれに倣って鎮守を八幡としたもの……等々。特に鎌倉のお膝元である相模では「神社=八幡さん」という感覚にまでなっており、一宮寒川神社や二宮川匂神社まで、中近世は八幡の一種であると考えられていたほどだ。すなわち、もともとそこに祀られていた何らかの神格が八幡化している例が非常に多いということである。

井細田八幡神社
井細田八幡神社
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例をあげよう。相州は神奈川県小田原市扇町の小字井細田という土地の鎮守も八幡さんなのだが、この傍を流れる山王川(上流は久野川)という川は、かつては蛇行する流れであり、頻繁に洪水を起こす暴れ川だった。

井細田周辺の地図
井細田周辺の地図
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上の図を見ると西から東へ流れている山王川の北側にも同様に用水が西から東へ流れ、八幡神社のところで合流しているが、往昔はこの二本の流れの間を山王川は蛇行していたのだ。八幡神社は天正年間の勧請と伝わるが、当時は無論蛇行して川が流れていたのであり、その出水をおさえることを願った鎮水の水神が祀られてしかるべき地であったことが分かる。近代の流路変更時に、そこを合流地点としていることにもそれは伺える。

余談だが、この山王川・久野川を昔は「蘆子(あしこ)川」と言った。西相模の箱根周辺は足柄であり、古代は足上郡・足下郡に分れていたが、これは「柄」の省略ではなく、そもそも「あしの國」があったのじゃないかと『足柄下郡史』を手がけておられた折口信夫が指摘している。現在小田原市などは相模となる以前にあったという師長國を酒匂川流域に比定しているが、私は師長(磯長)は相模湾沿いに東伊豆へのびていた海の民の勢力であり、小田原から西丹沢の内地にあったのはその「あしの國」であったろうと考えている。

蘆子(芦子)という名は(今はもう行政区としてはない)、箱根芦ノ湖と並んでこのような議論にかかわる重要な古地名だ。もし、井細田八幡が「蘆子神社」とでもいうべき神祀りの末だと想定すると、大変面白い。そういう場所でもある。

尾尻八幡神社
尾尻八幡神社
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もう一例あげよう。神奈川県秦野市の尾尻という土地は秦野盆地南側の台地から北へ向って突き出しているような高台だが、その上に八幡神社が鎮座されている。『吾妻鏡』には見ないが北条政子安産の祈願所とされたと社伝にはある。この高台を鶴疇山(つるとしやま)と呼び、鎌倉鶴岡・茅ヶ崎鶴嶺・平塚鶴峯などと並ぶ相州鶴の八幡宮である。こう見ると鎌倉縁の八幡神社そのものであるのだが、立地的に「それ以前」が伺われるお社でもある。

後背の鳥居から大山を望む
後背の鳥居から大山を望む
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尾尻八幡神社には、南から入る正参道と別に、社地後背にもう一つの鳥居が構えられているのだが、そこからはちょうど相州大山が遥拝される。ここ鶴疇山の高台は秦野盆地にあって大山を遥拝するための天然の祭場と言って良い絶好の地形となっている。東の方、伊勢原に鎮座される相模三宮の比比多神社が本来大山を遥拝するための社であったであろうと指摘されているが、尾尻の八幡神社は秦野側の同様の機能を持った場所であったと私は考えている。

秦野周辺には大山信仰の社と思われる御嶽神社の一群があるが、尾尻八幡もおそらくはその一環なのではないかと思う。このように「その八幡さんの鎮座する場所本来の神祀りとは」と見ていくと、「八幡」という名に限らない周辺信仰空間との繋がりが見えて来るのだ。

補遺:

一方で古くからの八幡であることがはっきりしている例で注目すべきところもおさえておこう。当然八幡神社は大変早い段階から全国展開しており、律令制の一翼でもあった。所謂「国府八幡」というのが代表的だ。武蔵などはその名も武蔵国府八幡宮である。

関東では安房:鶴谷八幡宮・下総:葛飾八幡宮・上総:飯香岡八幡宮・下野:下野國一社八幡宮などが知られる。それぞれの國の総社を兼ねているところもある。相模は国府所在地そのものが未だ定説を見ないので難しいが、中期大住国府(平塚市)の国府八幡にあたるのが相模五宮格の平塚八幡宮というところは良いだろう。

平塚八幡宮
平塚八幡宮
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しかし、中には鎮座地と国府の関係がよく分からない土地もある。このような八幡はまた一國一社正八幡宮、などとも言われるが、伊豆でそう言われた伊東市八幡野の八幡宮来宮神社は北伊豆・中伊豆にあったと思われる伊豆国府からは随分離れた相模湾に面する土地に鎮座されている。南伊豆町にもその伝のある八幡宮が鎮座していたと言うが(今はない)、これも離れている。

八幡宮来宮神社
八幡宮来宮神社
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もっとも、武蔵なども「八幡総社」はまた別にあったりもするので(大田区・式内:磐井神社)、色々な古い八幡社の伝が混淆しているということもあるだろう。いずれにしても、これらの国府八幡系の八幡神社は式内とはまた別のオーダーとなるようで、延喜式神名帳にも記載されていないことが多い。土地の八幡を見ていく上では、このあたりへの注意は必要だろう。

脚注・資料

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神社巡りの方法|四座 読 2012.09.22

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