コラム「数多い神社」(4/5)

門部:神社巡りの方法:2012.09.22

      

菅原天神

天神社・天満宮・天満天神社・菅原神社など色々呼称がある。昔は天満宮が一般的だったのだが、国家神道のもとでは「宮」を名のることができなかったために呼称が分化した。京の北野天満宮に準じて北野を冠するところも多い。

朝日森天満宮
朝日森天満宮
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まず、実際に「菅原道真公を祀った」天神さんの例から見てみよう。写真は栃木県佐野市の朝日森天満宮。今は佐野駅近くに鎮座されるが、もともとは北方にあった佐野市の居城・唐沢山城の城内に守護として勧請されていた。この佐野氏の天満宮は、藤原秀郷を祖と仰ぐ一系の八代孫、足利孫太郎家綱がこの地から太宰府に流罪となった際に菅公を崇敬するようになった、という由来があり、はっきり菅原道真公を守護神とした、ということが分かる例である。

佐野には天神が多いが、それらも佐野氏という「領主の守護神が菅原天神だから」という枠組みで捉えることができるだろう。このように土地の領主の武家などが菅公を崇敬して、という伝がはっきりある場合はそれはまごうことなく「天満宮」であるだろう。

しかし、村里に鎮座されている菅原天神さんの中には、本来菅公を祀った社ではなかったものがある。「天神さん」という神さま一般を示す言葉から転じたものが少なくないのだ。このあたりが実地で注意したいところである。

波夜多麻和氣命神社前のバス停
波夜多麻和氣命神社前のバス停
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例えば伊豆下田市相玉の式内:波夜多麻和氣命神社は土地では「天神さん」として祀られてきており(波夜多麻和氣命を祀るという記録はない)、神社前のバス停名も「天神前」である。しかしここは「菅原道真公を祀る」という伝があったわけでもない。まことに大雑把に「天神さんの社」だったのだ。伊豆は伊豆三嶋大神の御子神たちが複雑な名前であることから一般に膾炙しなく、単に若宮さんとか天神さんとか呼ばれてよく分からなくなってしまった例が多い。

蓮台寺天神神社
蓮台寺天神神社
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大雑把な感覚というと近隣の下田蓮台寺の天神神社にそれが良く伺える。これは現在菅原天神さんなのだが、もともとは地名でもある古刹(廃寺)蓮台寺の大日堂だった。この大日如来が天照皇大神とされ、「天の神さまを祀る社」で「天神さん」だったのが、その名から下って菅公を祀ることになったのである。お手本のような変遷だ。

また、天津神社というものがある。これは普通菅原天神のことは意味しなく、関東では妙見信仰から妙見菩薩=天御中主神となって天津神(あまつかみ)の社となったりしているものだ。全国でも御祭神の名に「天」が入るから天津神社、というほどのわりと大雑把な神社である。ここで注目したいのは、西相模には第六天を祀っていた社が天津神社となっている例があることだ。神奈川県秦野市や二宮町にある天津神社の御祭神は面足尊・惶根尊であり、これはもと第六天である神社の定型である。

藤沢市天神の天神社
藤沢市天神の天神社
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これらを踏まえて、第六天など天部を祀ったものが「天神」となる例もあるのじゃないか、と思って見て行くと、相州神奈川県は藤沢市、その名も字天神の天神社には、菅公と並んで神皇産霊尊が祀られているのを発見したりすることになる。皇産霊神(高皇産霊神・神皇産霊神)というのももと第六天の定番である。藤沢周辺は往昔第六天が良く祀られ、今も小字やバス停名に第六天の名が残っている土地だが、それと考え合わせるとここの「天神さん」ももとは第六天だったのじゃないかと思えてくる。

このような「その菅原天神さんはもとから菅公を祀っていたのか」と見ていくことは大変重要だ。なぜならば「菅公を祀る」としてしまうと、その土地が何を願ってその社を建てたのかが分からなくなってしまう(と言うより話がそこで止まってしまう)ことが多いからだ。もともと菅原道真伝説が濃く、その足跡の地である、という土地以外の遠方でなぜ菅公を祀るのか、というのは非常に難しい。学問の神というのはごく最近のことでさて置くとして、雷神として雨乞いなどに菅原天神が重く見られるかというとそういうことでもない。私は一時期菅原天神が土師氏の足跡に重なるのじゃないかとも考えていたが(菅原道真は土師氏の出身)、天神塚系の名の古墳が多い、という点が目にはつくが、全体的にはあまりそのような傾向は見えなかった。

勿論天神さんに限らず、土地の特色を神社を通して見ていこうという際には「その神社は本来何を願って建てられたものか」と考えていくことは重要だ。それは何のお社でもそうではある。しかし、天神さんは特にこのような変遷とその痕跡が見えやすいお社であるのだ。

さて、それはそれとして、今現在菅原天神さんである各お社の見所もひとつあげておこう。菅公と言ったら何はさておき牛である。狛犬さんのポジションに「狛牛」として牛像が臥せているところも多い。

なで牛(神奈川県小田原市国府津)
なで牛(神奈川県小田原市国府津)
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特に「なで牛」といって、自分の体の悪い部分と同じ牛像の部分をなでると治る、という牛像があると、なでられつづけて丸くなっていった牛にそのお社の歴史を感じることもできる。実は貴人を慕う牛の伝説にしても、病を治すなで石の系統にしても菅原天神に限った話ではないのだが、それらの代表としてまずは菅原天神さんの牛像に良く親しんでみるのが良いだろう。きっとその先にある牛の地名伝説や女護ヶ石などへと視線を導いてくれるように思う。

このような側面からも、菅原天神さんは一歩先へ踏み込む神社巡りへの入り口となるお社と言えるかもしれない。

脚注・資料

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神社巡りの方法|四座 読 2012.09.22

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