コラム「数多い神社」(3/5)

門部:神社巡りの方法:2012.09.22

      

諏訪神社

関東甲信越から東北南部の人にはおなじみだが、諏訪神社というのも多い、全国でも伊勢神明・菅原天神・熊野に次ぐくらい多い。本社諏訪大社を擁する信濃は鎌倉北条氏の拠点のひとつであったので、北条氏の所領に多い傾向がある。なんとなれば北条氏が矢面に立たされた中世最大の国難であった元寇の際の有名な神風は、この諏訪明神が竜蛇となって加勢したものだと言われるほどなのだ。

このようなことで武家の守護神という面も強いのだが、一方村里で祀られた諏訪神社というのはその竜蛇の方、蛇神のお社という面が強かった。特にお膝元の信州から甲斐の方ではそうである。

生出神社
生出神社
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甲斐は郡内、山梨県都留市には生出(おいで)神社というお社が三社ある。生出山という山を囲むように三方に鎮座されているのだが、もともとはその山頂にあった白蛇の棲む池を祀った諏訪明神であったという。

釜無川(富士川)の方でも、白蛇が「麻からのくき」に乗って流れてきたので諏訪明神を祀ったとか、白蛇が勝手や座敷にまで上がり込んできて困るのでお明神さん(諏訪神社)を祀ったとか、蛇を殺した祟りがあるので諏訪明神さんを裏山に祀ったとか、とかく蛇に絡んで諏訪神社は祀られてきた。

諏訪の明神が蛇体であるというのは昔は良く知られた話であって、神無月に出雲へ行かない留守神の伝承の定番でもあった。諏訪の明神さんが出雲へ行ったとき、あまりにその体が長いので尻尾はどこにあるのかと出雲の神々が尋ね、諏訪さんは尻尾はまだ諏訪湖にありますと答えた。そして、それならもう来なくてもよい、となったのだそうな。ちなみに諏訪でもこの時期を神在月と言う。

さて、なぜ諏訪明神が蛇なのかという話だが、主祭神である建御名方命がそうなのかというと(そういう面もあるのだが)、そうではない。また、諏訪の地主の神、ミシャグチの神が蛇なのじゃないかという話かと言うとそこまで大袈裟な話でもない。中近世を通して、諏訪明神とは近江の地頭、甲賀三郎のことであったのだ(勿論伝説上の人物)。『神道集』「諏訪縁起事」では、兄らの奸計によって蓼科山の人穴に落とされた甲賀三郎は地底の国々を巡るうちに蛇体となってしまう、というストーリーが語られる。その蛇体の甲賀三郎が諏訪大社の神であるとされ、諏訪明神は蛇なのだ、という枠組みの中で、村里の蛇を祀る諏訪神社というのは増えて行ったのである。

これは先の郡内の方から相模川に沿って相模へ下ってきてもそうであり、蛇の社である諏訪神社は相模湾の方まで見える。例えば藤沢市の石川というところの諏訪神社には昔池があり、大蛇が住んでいたという。そして、その大蛇の母である石神が本殿裏に祀られていた。この母の石神さんに参るときは諏訪神社の裏の戸を三回叩いてお参りしたのだそうな。今は裏手は住宅になってしまっていたが、この石神さんは今も社頭に祀られている。

大蛇の母という石神
大蛇の母という石神
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同神奈川県秦野市の方では実際「諏訪から飛んできた大蛇」と言っている伝承のあった諏訪神社(現・今泉神社)などもあり、この傾向は往昔は強くあったのだと思われる。このような次第であり、各地の諏訪神社を見ていく際には、特にその土地の昔話などを通して(現在の正規の社伝ではこの類の伝承は割愛される傾向が強い)、蛇にまつわる伝承と関係していないかどうかをまず見たい。

もう一点。これはまだ何とも言えない面もあるのだけれど、諏訪神社を祀る理由に「ここには大昔に、今住んでいる人々とは違う古い人たちがいた」というニュアンスが見えるところがある。

府川諏訪神社
府川諏訪神社
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相州神奈川県小田原市の久野の北辺、小字府川という所にも諏訪神社があるが、この丘上から南東の狩川沿いの平地へ向う間に久野古墳群という横穴古墳群が連なっており、下りたところを穴部という。昔はその範囲がまさに「諏訪ノ原」と呼ばれていた。近世この方の久野の人たちは、これらの横穴を「今住んでいるわれわれとは違う人たち」が残した墓だと認識していたようで、諏訪神社もそのことを祀った社だというニュアンスで語られる(そもそもそうはっきり認識しているわけではないので、あくまでそういう感じがする、ということだが)。

入谷諏訪神社
入谷諏訪神社
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また、同神奈川県座間市入谷の諏訪神社は、同地の大神の神戦(式内の有鹿神社の神と西から来た鈴鹿神社の神が争った)に蛇身となって参戦したという、これまた「蛇の諏訪明神」なのだけれど、この周辺にも横穴古墳群が広がっている。入谷の諏訪神社は小さいながら式内:石楯尾神社の論社でもあり、神戦の話でも土着の諏訪の神が新しくやって来た鈴鹿明神に加勢した、というニュアンスが見える。

もしそのような傾向があるとして、なぜ諏訪の神を祀ることが先住の人々の痕跡を示すことになるのかというと現状分からないのだが、場合によっては「穴」という線でお稲荷さんの話へ繋がって行くものかもしれない。「人穴」に落ちた甲賀三郎は「あちら」から「こちら」へ蛇体となって現われたのだ。このような側面を仮定して諏訪神社を巡る際には、当然周辺の古墳・遺跡との関係を良く見ていかないといけない。そして、より広く「やはりこの線はあるな」と思えて来るようだったら、大変面白いことになると思う。

たくさんある諏訪神社なのだけれど、他の多い神社と比べて「何の神さまなのか(何を願って建てられたのか)」というのが今ひとつピンと来ないお社であると思う。しかし、全国二千社を越えるような数多い神社の中では最も東に本社が位置する神社であり、東国の人は特に重視していくべきお社なのだ。

諏訪の蛇神の去来する場所がどのような空間に繋がっているのか。もしかしたら諏訪神社を繋げ辿る道筋は、神祇における東日本のアイデンティティの問題にまでとどくかもしれない。

脚注・資料

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神社巡りの方法|四座 読 2012.09.22

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