湖の底が抜けた

神奈川県足柄下郡箱根町


明治のはじめ頃、芦ノ湖の水面が急に下がって大騒ぎになった。天変地異の前触れかと人々は戦々恐々とし、和舟をかって、日夜を問わずに見回った。すると、西の真田というところで、湖面が大きく渦を巻いているのが見つかった。

湖の底が抜けたのではないかと村は総出で警戒に当たり、クロモジの木や竹を切っては束ねて渦巻きに投げ込んだ。一週間もすると渦は収まり、水は減らなくなったという。この話は昭和二十年ころに慶応年間生まれの古老に聞いたものだ。

また、七月三十一日の湖水祭では赤飯をおひつに入れて湖水に沈めるが、これが後日、山麓の清左衛門地獄池に浮き上がることがあったという伝説がある。清左衛門地獄池は、遙か明神ヶ岳の東側の南足柄市にある。周囲の人には、その水は芦ノ湖から地下を通って流れてきていると信じている人も多い。

『箱根の民話と伝説』安藤正平・古口和夫
(夢工房)より要約

追記

湖の底が抜ける、という現象は実際にあるらしい。特に火山周辺で起こるというので(ガスが抜けてできた地中の空洞に水が流れ込む)、箱根であったとしてもおかしくないのかもしれない。

しかし、ここで気になるのはそれが「湖の西の岸」で起こった現象であったことだ。実は、箱根の九頭龍に関しては西か東かの問題がある。縁起に見るように(「箱根山縁起(部分)」)、毒龍が出現したのは湖の西の汀だった。

現在九頭龍神社が鎮座されるのは湖の東側だ。栴檀伽羅木があるのは別に西側というわけではないのかもしれないが、話の上からいったら九頭龍は湖の西側に祀られそうなものではある。そして、実際に「湖尻寄りの西北岸の水面に見える赤い鳥居の湖岸に小さな森がありますが」と同『箱根の民話と伝説』の九頭龍の稿にはある。

「さなだ」の名がまま竜蛇に関わることがあることを加味しても良いかもしれない。ともあれ、引いた話の芦ノ湖の底が抜けた大渦が西に出たというのは九頭龍の話を彷彿とさせる位置なのだ。その印象をつなげて覚えておきたい一話だ。

なお、最後に語られている清左衛門地獄池におひつが浮き上がる、という件だが、そちらのほうにはその湧水を見つけると同時にそこに沈んだ清左衛門(ないしその馬)が芦ノ湖の九頭龍になったのだ、という話がある(「清左衛門地獄」)。これは清左衛門地獄側で話されるものなので、そちらにあたられたい。