清左衛門地獄

神奈川県南足柄市


昔、狩野本郷のあたりは水に乏しく、土地の人は田を作ることをあきらめていた。ところが清左衛門はあきらめず、畑仕事を放り出してまで、水神に願掛けに通った。すると、清左衛門の夢枕に水神が立ち、久保のあたりを探すようお告げがあった。皆は信じなかったが、清左衛門は馬に乗って水を探した。

やがて、水が出たぞ、という清左衛門の声が村に響き、皆は飛んで行った。見ると、本当に水があふれ出、大きな池になっている。しかし、肝心の清左衛門の姿が見えず、池に沈んで消える馬の姿だけが見えた。

皆は清左衛門の名を呼んだが、呼べば呼ぶだけ池の水が噴き出るばかりであった。清左衛門は三日三晩の後に箱根芦ノ湖に九頭竜神となって現われたという。村人は、この池を「清左衛門地獄」と名付け、池のところに竜神をまつって霊をなぐさめた。これより、狩野本郷には青々とした田が広がったそうな。

『語りつごうふるさとの民話』
(小田原青年会議所)より要約

追記

この清左衛門とは大森氏の家臣加藤清左衛門という人であった、ともいい、話によっては水に沈むという部分はなく、単に水を得て土地を拓いた偉人として語る。池は今もあり、傍らに弁天・弁財寺があり、これも清左衛門の願いで建ったものという。

ともあれ、芦ノ湖の湖水祭で投ぜられた御櫃が清左衛門地獄池に浮く、という話(「湖の底が抜けた」)があるのは、上のような次第による(川口謙二『相模国武蔵国 土風記』によると、九頭龍になったのは清左衛門の馬であるともいう)。

無論、箱根のほうでそういうということはなく、清左衛門地獄周辺でいう話だ。近くには箱根免という小地名があり、また、池の弁天は箱根塔ノ沢の阿弥陀寺からもたらされたものでもある。大森氏が箱根の別当であったことと深く関係するのだろう。

ところで、このようなご当地の「またの九頭龍の由来」が語られるのは、雨乞いの次第かもしれない。実は、芦ノ湖に赤飯を投げ入れるのは箱根の神官ばかりではなかった。どうも、各地で箱根九頭龍に雨を乞う場合にはそうしたらしいのだ(「箱根山の雨乞い」)。

狩野地域でも、芦ノ湖の水が滞りなく清左衛門地獄へ通ずるように、として芦ノ湖へ行って赤飯を投じたのかもしれない。そういった背景があるのだ、として見ると、清左衛門(の馬)が九頭龍になった、という一見突飛な話も納得できるような気がする。