湖の底が抜けた

原文:神奈川県足柄下郡箱根町


箱根に芦ノ湖が誕生したのは、約二万年前の火山の大爆発によってできたカルデラに水が溜まったもので、はじめは現在よりもずっと広く仙石原一帯まで水を湛えていました。それがおよそ四千年前の大涌谷のガス爆発による神山の山崩れで二分されて、今の形になったといわれています。

そして歴史がずっと下って、箱根権現の御手洗いの池として「万字が池」と呼ばれ、「芦ノ湖」といわれる今日まで、湖は豊かに水を湛えつづけてきました。

それが明治のはじめころ、その水面が急に下がって大騒ぎになったことがあったそうです。天変地異が起こるのではないか、と土地の人々は心配して、気が気ではありませんでした。

そこで、和船を持っていた村人たちは、日夜を問わず湖を見回り、原因を探っていたところ、西の岸の真田というところで、湖面が大きく渦を巻いているのを発見しました。

湖の底が抜けてどこかへ流れ出しているのではないか、これは大変だとばかり、村の人が総出で警戒に当たる一方、手分けして、クロモジの木や竹を切っては束ね、船で運んで渦巻きに投げ込みました。

一週間もすると、ようやく渦もおさまり、水は減らなくなったといいます。

この話は、昭和二十年(一九四五)ころ旧箱根町に住んでいた昔がたりをよくする兼吉という慶應年間生まれの老人が話していたのを聞いたものです。

ところで、芦ノ湖では、昔から箱根神社前夜祭の七月三十一日に、湖水の守護神・九頭龍明神に捧げるため三升三合三勺の赤飯をおひつに入れて、湖水に沈める行事が行われていますが、未だ一度も浮きあがったことはないということです。ただし、後日、山麓の清左衛門地獄池に浮きあがることがあったという伝説があります。

清左衛門地獄池は、はるか明神岳の東側の山麓の南足柄市にあり、筆者が小学生のころ遠足で道了尊へ連れられて行った時の記憶では、幅が二十メートルほどもある楕円形の広々とした池で、底の方から水がもくもくと吹きあげていました。

今は周辺もすっかり開発されて、大雄山鉄道の富士フイルム駅を下車して左を山に向かって行った所に、富士フイルムの厚生施設が建てられ、池は周辺を金網でしっかり囲われて、そのきれいな湧水はフイルム製作に必要な大量の水源として大切に使われているようです。今でもこの水は芦ノ湖から地下を通って流れてきていると信じている人も多いようです。

なお、この池の名は、昔、清左衛門という人が馬を引いてここに入り、そのままズブズブと底に沈んで亡くなったことからその名が付いたといいます。

『箱根の民話と伝説』安藤正平・古口和夫
(夢工房)より

追記