九頭龍

神奈川県足柄下郡箱根町


奈良朝の終わりの頃、芦の湖の西の汀に毒龍が出て、村人たちに危害を加えた。また、毒龍は機嫌を損ねると水害や疫病で人々を苦しめた。それで皆は恐れ、子供を人身御供として毒龍に供えており、その悲しみに箱根の空はいつも暗かった。

これを晴らそうと思ったのが郷土の慈父、万巻上人であった。上人は湖中に石壇を築き、日夜祈禱して毒龍を鎮めた。毒龍も上人の慈悲心に改心し、宝珠と錫杖に水瓶を捧げ、上人に鉄の鎖で旃檀訶羅木(今のさかさ杉)につながれた。

これより毒龍は九頭の龍神と化身し、龍神を鎮める市杵島姫尊と併せ祀られ、人身御供に代わり三斗三升三合三勺の赤飯を供えられることになった。今でも八月三十一日の湖水祭には三升三合三勺の赤飯を供える(昔は六月十三日であった)。

かくして暴神毒龍は湖水の鎮めの主・九頭龍神社となった。湖水祭で湖に入れられる赤飯の框は、不思議と浮き上がらないという。万が一浮き上がった場合は九頭龍が受納しなかったということなので、その年は漁がなかったり山が荒れたり、疫病が流行ったりするといわれている。

『箱根神社大系 下巻』箱根神社社務所
(名著出版)より要約

追記

箱根芦ノ湖の九頭龍の伝説は、湖水祭の由来としてこのように語られる。ただ、万巻上人の毒龍・九頭の龍調伏の話は建久の縁起に遡る古い話だが(「箱根山縁起(部分)」)、人身御供の話などはない。

明治の「箱根七湯志」などには、すでに確立した湖水祭の記事が見えるのだが(「蛇の住る話」)、どのあたりで上に引いたような筋がまとまったものかは現状分からない。

その過程で齟齬が生まれていると考えられるので、そこは重要なのだ。先の箱根神社の見解では、毒龍が上人に鎮められ、九頭龍神と化した、ということになっているが、そもそもの縁起は暴れていたのが九頭龍であったとも読める。

これは九頭「くず」の名が何を意味するのかという点に大きく関係する。それが国栖のような意であろうと、崩壊地名に由来するのであろうと、そうであるなら暴虐の竜蛇である段階でその名を持つのが妥当だろう。