九頭龍

原文:神奈川県足柄下郡箱根町


奈良朝から平安朝の初めにかけてのことである。「また毒龍が出て人をたべてしまった……」といふ様な恐ろしい出来ごとが、毎晩の様に村人の心をおびやかした。毒龍は夜になると芦の湖の西の汀に住でゐるところからとび出して、村の人々に害を加へるのであつた。そして毒龍の機嫌をそこねてしまふと、恐ろしい水害や悪い病気等がはやるといふので、村人は自分達の命をとられる心配よりも、その怒りを恐れたのであつた。

そのためにいつか子供を人身御供として、龍に與へることが行はれるやうになつた。人身御供として龍のえじきとなる子供の哀れさ……。それをしも涙の中から送らねばならない親兄弟たちの悲しみ……。そんなことのために箱根の空はいつも暗かつた。

「可哀相に……これは何とかしてやりたいものだ」といふのが郷土の慈父、萬巻上人であつた。上人は湖中に石壇を作り、日夜祈禱をして毒龍が心の和らげかし…… と祈られた。するとある日不思議にも、湖水が見る見るうちに渦巻を起したかと思ふ間もなく、毒龍が寶珠と錫杖に水瓶とを捧げてあらはれ、前非を悔いてあやまるのであつた。さすがの毒龍も上人の燃ゆる様な慈悲心には頭が上らなかつたのであらう。

上人は毒龍を鐵のくさりにつないで、旃檀訶羅木(今のさかさ杉)に結びつけた。神秘の不可思議はここにも現はれて、毒龍は忽然として九頭の龍神と化身した。さればこれを九頭龍神社として祭り、これに市杵島姫尊を合祀して龍神の心を鎮め、人身御供に代ふるに三斗三升三合三勺の赤飯を以てした。

今に及んでも郷人は、毎年の八月三十一日に湖水祭を行ひ、三升三合三勺の赤飯を供へて龍神を慰め、且つは湖水の主としてその加護をもとめてゐる。現在箱根神社の特殊神事湖水祭の起源は以上の様に説かれてゐる。

昔は毎年六月十三日丑の刻に岸の護摩壇で修行をして、山伏が舟に乗って强飯を素木の平器百枚に盛り、沖の護摩壇と云ふところで一度に水面に置くと、大きな渦巻が起きて一齊に水底に巻きこまれると云ふてゐるが、今は八月三十一日の夕六時に淸水の澤で赤飯三升三合三勺と神酒を供へて祭典を行ひ、第一の舟に赤飯を入れ齊主一人乗り、第二の舟には樂を奏し、第三の舟に氏子總代が乗つて沖に漕ぎ出すが、神社の正面迄くると第二第三の舟は引返し、第一の舟のみが夕暗を縫つて進むのである。その間齊主は神秘の神事をつづける。舟頭は毎年村の各區から選抜した者二人が櫓を漕ぐ、往復とも一切無言である(第五圖參照)。次でこの赤飯のはいつた框を沈めるのだが不思議な事に浮き上らない、萬一浮き上つたら九頭龍が受納しないので、其年は漁がなかつたり山が荒れたり、疫病が流行すると云はれてゐる。

『箱根神社大系 下巻』箱根神社社務所
(名著出版)より

追記