大蛇を退治した神さま

神奈川県足柄上郡山北町


昔、越地に大きな沼があり、魚が多く釣り人で賑わっていたが、いつからか蛙一匹棲まない無気味な沼になってしまった。通りかかった者が姿を消すと恐れられ、ついには祭の晩に村の娘が一人沼の化け物の生贄となるようになってしまった。

そしてまた祭の日が近づき、皆が怯えていたとき、立ち寄った旅の者が、それは大蛇の仕業に違いない、蛇は鉄が嫌いだから、鉄の神様にお願いするのが良いだろう、と教え去った。村人たちは、早速鉄の神様を沼のほとりに祀ってお願いした。

いよいよ祭の日が来て、皆が家に閉じこもっていると、夜半から嵐となり、恐ろしいうなり声が響き続けた。大蛇と鉄の神様の戦いは夜中続いたようだったが、明方静かになった沼に皆が行ってみると、沼いっぱいに大蛇の死骸が横たわっていた。

大蛇の頭は、鉄の神様の前にあり、刀で突き抜かれていた。村人は喜んで鉄の神様を氏神と祀り、沼には蛙たちも戻って鳴くようになったそうな。岸には蛇塚もあり、このことに関係するのだろう。

『語りつごうふるさとの民話』
(小田原青年会議所)より要約

追記

今、川村小学校の南の低地が沼であったという。西側に一段高く県道が走り、それとわかる地形を残している。さらに県道の西上に八幡神社が鎮座され、ここが焦点となる。

蛇は鉄が嫌いである、とされ大蛇退治に金物がまま用いられるが、それを「鉄の神様を祀って」という形で語った話というのは大変珍しいものと思う。もし、昔からこの伝があったのだとしたら、相当に貴重な事例だろう。しかし、この祀られた神というのが、どうもその八幡さんらしいのだ。

おそらくこの話の元は、『足柄上郡誌』(大正13)に記された「蛇塚」である。そこでは、沼の怪異に川村城内の八幡が遷され、神威の白羽の矢が立って、大蛇の死体が現れる。特に蛇と鉄が相克するモチーフは語られていない。

八幡をして鉄の神だとする感覚が、昔話を構成する要素としてそんなに昔からあったものとは思われない。この話が『足柄上郡誌』からのものであるなら、鉄の神が大蛇を討つ、というのはごく最近の翻案であると思われる。

ただ、それとは別に地元にはこういう語りもあったのだ、という可能性もなくはない。箱根からこちらにかけては、最終的に金物で大蛇を封じる琵琶法師と竜の話も連なっている(「矢倉岳の主(後)」など)。その一端がここにもあったのかもしれない、と少し気にかけておいても良いかもしれない。