日月大明神

神奈川県海老名市


国分星谷に、昔隕石が落ちてきたというスリ鉢形式の井戸があったという。この隕石を修験者の梅之坊が日月明神と祀ったが、明治の合祀令により、国分八幡社に男体、上今泉日枝社に女体と分け合祀され、明神の跡地は耕地となった。

ところが、この跡地にはいやな出来事が相次ぎ、狼の唸り声も聞こえたといい、上今泉・下今泉の代表が奔走して、明治二十九年に復祀された。

『海老名の史跡探訪』
(海老名市農業協同組合)より要約

追記

日月明神社は、国分北の相模線が大和厚木バイパスを潜るすぐ東上に鎮座されている。星谷そのものは1キロほど東に行った上星小学校の東あたりになる。星谷児童公園があり、確かに立地がすり鉢状で「この地は昔、天より星がふり落ちて、そこが井戸となり常に水を湛えていたということから「星谷」の名がついたといわれています」と解説があった。

話は直接竜蛇とは関係ないのだが、海老名・座間に星に関する地名が多い点が問題になる可能性があり、一応引いておく。座間には有名な星谷寺がある(「星谷寺観音縁起」)。ここは大蛇が縁起に見えた。

さらに海老名市大谷吉久保には「星井戸」といって昼に星を映す井戸があったといい、杉久保・本郷には星谷という一面に星を映す谷戸があったといい、またそちらにも星谷寺があったという。

そのようであるのだが、そこで気になるのが相模原のほうであれだけ語られた巨人の「でいらぼっち伝説」が、座間海老名に来るとぱったりなくなってしまうことだ。私見だが、ダイダラボッチのボッチは法師である前に星や斑と同じ孤点を示す名である。実際巨人伝説は星につながることがままあり、当地のこの両者にも関係はないか、という期待がある。