日月大明神

原文:神奈川県海老名市


国分星谷の田辺叡さんの母親ツナさんに、その昔隕石が落ちて出来たと言う井戸へ案内して戴いた。(写真下)

すぐ南側は国道二四六のバイパスだが、北側はまた何んと静かな深い雑木林。既に落葉を敷きつめた細い山道がどこまでも続く。この井戸は最古のスリ鉢形式であるそうな。周囲は太い女竹が密生し、その中に落葉を浮べて満水である。

この隕石を、今泉の桜井氏の祖先広綱別当修験者梅之坊が、衣につゝみ日月明神に祭祀したと言われ、ご神体は隕石であると言う。

渕源は何時代か不明なるも、国分尼寺、星谷、上今泉宿の三部落の氏子の方に依り永く祭祀されて来たが……。

明治維新布達の小社の合祀令により、国分八幡社に男体を、上今泉日枝社に女体を合祀し、跡地は耕地となった。

以来二十余年、明神の跡地にはいやな出来事が相次ぎ、又狼のうなり声も聞えたと言う。

依ってか、上今泉村桜井慶山、下今泉橋場茂右衛門の両氏相図り旧神徒間を奔走し、集議一決明治二十九年旧地に祭祀されたと言われる。

祭地は下今泉から上今泉に上るバイパス切通しのすぐ上、明神の背景は開け行く郷土一帯を一望、遠く相模、甲武の山並が美しく。

誰がつけたか片わらの護美箱には一望台と大きく書かれていた。(遊作良貞)

『海老名の史跡探訪』
(海老名市農業協同組合)より

追記