社家の三島社の神木と大蛇

神奈川県海老名市


昔、社家の三島社には周囲三丈八尺五寸もある槻の神木があり、文政年間すでに千年を経て根元は空洞をなしていた。そしてこの空洞に大蛇が住みつき、周辺の生き物をあさるので、村人は恐れていた。

その頃、近くのダブとわれた大池で洗濯をしていた農婦が帰らなくなり、大蛇が人を狙ったのかと大騒ぎになった。農婦はついに見つからなかったが、恐れる村人の前に奇跡は起こった。

六月十五日、聖典無風の真昼間に突如神木が火を噴いたのだ。大蛇はもがく間もなく焼け死に、皆は天の神様が人をあやめた大蛇に怒りなさったことであろうと思った。焼け跡からは四斗樽三杯もの大蛇の白骨がでたという。

『海老名むかしばなし 第2集』
(海老名市秘書広報課)より要約

追記

社家は地名で鎮守の三島神社は今も鎮座されている。この槻の根株は明治末期まであったというが、今はない。今の東側の狛犬のあたりにそびえていたという。

別採取の話では、大蛇は川からあがって槻に住み着いたとあり「相模川には大蛇が住んでいたと言い伝えられ白い大蛇は神様の変身で寒川神社から有鹿神社に向けて使いに行った等とも一部の人達には噂話が土俗信仰的に根付いていた時代だったのであろう」と書かれているのも面白い(市史)。

もっとも、社家の北方、中新田・大谷のほうでは、そちらの大蛇と社家の大蛇は雌雄で、貫抜川を行き来していたのだともいう(「沖田と大蛇」)。その大蛇がまた最終的に有鹿神社裏に移動していたりもして、ややこしいのだが。

また、市史のほうでは神木の突然の発火は落雷によるとなっているが、相模川の東では、相原のほうにも似たような話があり(「おひの森の大ひのきの話」)、またそちらから西側の話にもあたられたい。