社家の三島社の神木と大蛇

原文:神奈川県海老名市


昔、社家の三島社(社家三三九四番地)の境内に槻(ツキ=ケヤキの一種)の神木が亭々とそびえていた。今の参道敷石の東側のこま犬のあたりだったという。「有馬村誌」に周囲三丈八尺五寸(一一・七メートル)とある。これは「海老名の大けやき」よりなお四メートル近くも太く、現存すればもちろん天然記念物級のものである。

文政年間(一八一八〜一八三〇)にはすでに千年も経ており、その根本は大きな空洞をなしていた。そこにいつしか大蛇が住みつき、ひそかに周辺の生き物をあさり回るので、いたく村人に恐れられていたのであった。

神社の北西方程近く「ダブ」といわれた大池があった。周りはいちめん竹やぶに覆われ昼でも薄気味悪いところであった。しかし池心へ向け東方から一本の板橋が架けてあり、付近の主婦たちの格好の洗濯場になっていた。

ある時のことである。近くの農婦がこの池へ洗濯に行くといって家を出たが、夕方になっても帰って来ない。家の者が心配して探しに行ったところ、おけと洗濯ものだけ置かれてあって姿が見えない。池に落ちて死んだのかと水底を探したが、それらしいものもない。それでたちまち隣近所を始め村中大騒ぎになった。

それは、かつてかの大蛇が人をねらったといううわさが立ったことがあったからである。てっきりそのうわさが現実化したのだとだれもが信じてしまった。中には洗っていた子どもの着物のつけひも伝いに飲まれたのだという者もあらわれた。「子どももあることだから是非無事で」という願いもむなしく、とうとう農婦は家へもどらなかった。

奇跡はやがて起きた。この年の六月十五日、晴天無風の真っ昼間、突如神木が火を噴き始めたのである。中に巣くっていた大蛇はたまったものではない。それこそもがく間もなく焼け死んでしまった。村人は、これはきっと天の神様が人をあやめた大蛇の所業を憎み、お怒りのあまりになさったことであろうと思った。

この火は、「天火」または「御神火」と書かれ、口碑にも残っているところを見ると、この火を目のあたりにした当時の人々は拍手喝さいを送り、さだめし溜飲を下げたであろうことがうかがえる。この時焼跡から出た大蛇の白骨はなんと四斗だるに三杯もあったという。

ご神木はその後ひこばえ(草木の切った根株から出た芽)を出し、相当大きくなったが、やがて枯れ、明治末期まではその根本をトタン板で囲み針金をめぐらしておいたそうだが、現在はその跡形もない。

今は、社殿の裏手に見事に茂る大槇が遠い過去を知らぬ気に二代目の神木におさまっている。(池田武治)

『海老名むかしばなし 第2集』
(海老名市秘書広報課)より

追記