勝坂の有鹿谷の霊石

神奈川県海老名市


有鹿郷五か村、上郷・河原口・中新田・社家・中野の水は源が相模原市の磯部勝坂にあり、鳩川用水のもとである。天正三年、総持院住職慶雄の夢枕に神霊が立ち、白鳥(白烏とも、金の鳥とも)を追わせて水源に導いたそうな。そこを有鹿谷と呼んだ。

それから毎年四月八日には、有鹿神社の御輿が有鹿谷まで行き、御神体の玉石を水源の洞窟に安置して帰り、六月十四日に帰座する。これを「有鹿様の水もらい」といい、先の各村の代表の送迎するところとなっていた。

勝坂の古老の話では、有鹿谷に置かれた玉石は、よく子供らにいたずらされたそうな。しかし、子供に動かされても、いつの間にかもとの位置に戻っていたという。それで、ある子が霊石を他所に移し、縄で縛ってみたところ、家の座敷いっぱいに大蛇がとぐろを巻いて、家に入れなくなったという。

この時は大山雨降神社の神主に祝詞をあげてもらい、事は済んだが、不思議と大蛇はその家の人以外には見えなかったそうな。有鹿神社に関してはこのような蛇の話が他にもいくらもある。長徳五年の用水をめぐる出入りの際にも蛇体が出たという。

『海老名むかしばなし 第三集』
(海老名市秘書広報課)より要約

追記

勝坂の有鹿谷にある横穴の湧水を有鹿神社奥宮といって今も祀り、上のお水もらいも水引祭といって続いている。もともと有鹿の神は勝坂に祀られていて、鈴鹿の神との争いに敗れ海老名に遷ったのだともいうが(「鈴鹿と有鹿の神争い」)、『新編相模国風土記稿』などでは上のように天正年間に見出されたとある。

その元宮問題はさて置くとしても、このように水源(鳩川の水源そのものはもっと北になるが)を祀るという話も、あるようでなかなかないものだ。式内社がそれを行なっているというのは大変貴重な事例といえるだろう。

この点は地域性というのもあるかもしれない。一段南側の目久尻川の方でも、その下流部にあたる寒川が水源部にあたる座間市小池の弁天の祭に毎年代参を送っていたなどという話もある(「弁財天社」)。

また、蛇神であるという有鹿の神の御神体の玉石というのも大変興味深いところだ。縄で縛ったというくらいだからそれなりの大きさのあるものだろうが、どういったものだろうか。

周辺、津久井の牛鞍神社には蛇の形をした石があるといい(神奈川県史)、藤沢市石川の諏訪神社は大蛇の「おふくろさんという石」といって、道祖神の五輪石をあてたりするが、どちら寄りのものだろうか。甲州の丸石様の石であったりしないだろうか。