おじき

神奈川県秦野市


青々と澄んだ沼の近くに、両親を亡くし、おじと暮らしている優しく美しい娘がいた。ある日、娘が水を汲みに沼に行くと、龍が水面に現れ、優しく熱心に娘に求婚した。気の優しい娘は無下にできず、自分を育ててくれたおじに聞かねばならない、三日後にお返事します、と返事した。

ところが、話を聞いたおじは、とんでもない、と許さなかった。三日が経ち、困った娘はそれでも岸に立ち龍と会ったが、龍は娘の沈んだ顔を見て事情を察した。そして、夢破れたり、と思ったか、もがく娘を背に乗せ、沼を出て室川を下ったのだった。

娘は「おじき、おじき」と何度も叫んだが、おじにその声は届かなかった。それで龍は、娘を背に乗せたまま海まで下っていったという。この「おじき」の声が村人の耳に「尾尻」と残り、その辺りを尾尻村というようになったそうな。

『丹沢山麓 秦野の民話 下巻』岩田達治
(秦野市教育委員会)より要約

追記

太岳院というお寺の横の沼の話で、より広く知られた話形のものとして、「龍と娘」がある。「おじき」は同じ話の異聞で、「龍と娘」の話を聞いた地元の人が「おれが聞いていた話はこういうもんだが」と話されたものだそうな。

大筋は大きく変わらないが、題の通り「おじき」が重要な役割として登場している点が違い、龍と娘ではその龍の尾が触れたから尾尻という、というところが「おじき」の聞き違えだとなっている。

尾尻の土地は、秦野盆地を囲む丘陵の南側の高地から盆地内に突き出た、文字通り尾のような微高地であるがゆえの地名で、もとより尾の意であったと思われ、竜蛇の尻尾ということで良いと思うのだが、わざわざ「おじき」を持ち出してきた理由というのがよくわからない。

万が一、という所だが、秦野にも大蛇を「おじ」と呼ぶことがあり、それが胡乱となった結果ではないか、という可能性も少し考えておきたい。越後の方に「おじ蛇」の呼び名は多いが、江戸の千住周辺にも見える(「槇の屋のおぢ」など)。