龍と娘

神奈川県秦野市


太岳院の前には清水が湧き出る沼があり、一匹の大きな龍が棲んでいた。龍は人の話し声や歌声が大好きで、夜な夜な岸辺に近寄っては聞き耳を立てていた。しかし、姿を見られることはひどく怖れ、いつも静かに沼底を這いまわっていた。

沼の近くの一軒家に美しい一人娘がいた。夜になると惹かれるように沼へ行き、月明かりに自分の影を沼に映しては櫛で髪を梳き、美しい歌声で歌っていた。沼の龍も毎夜この歌声に聞き惚れていた。ところがある夜のこと、娘ははずみで沼に落ち、着物を濡らしてしまった。

この水音に驚いた龍は、水面に姿を現してしまった。そして「見られてしまったおのが姿」と思ったか、一転して荒々しく娘を背に乗せ、沼の底へ身を隠してしまった。娘がいなくなったことに気がついた村人たちは、松明をかかげ捜したが、見つかったのは浮んだ娘の赤い鼻緒の草履のみだった。

それから数日。一天にわかにかき曇り、物凄い大雨となった。沼は増水し、とうとう土手をこえると室川へと流れ込んだ。この時、大水とともに龍が姿を現し、その背に娘が乗っているのが見えた。龍は室川を下っていき、その尻尾の触れたところを今、尾尻という。(今泉 安本利正・中尾佐助)

『丹沢山麓 秦野の民話 上巻』岩田達治
(秦野市教育委員会)より要約

追記

同著者が連載していた神奈川新聞『秦野の昔ばなし』には、この話を語ったのは主にその太岳院の先代住職の方であった、とある。確かに、縁起ものの雰囲気もある一話だ。沼は現在は今泉名水桜公園と整備され、すっかりきれいなもので辺りも住宅街だが、太岳院や南を流れる室川との位置関係などは把握できる。

しかし、それでこの龍が寺の守護なのだとするには、泳ぎ下って去ってしまっている。そう思うとなんの話なのか、というのかも難しい。今泉が竜蛇をもって下流の土地尾尻の由来を語るのは他の話にも見えるが(「お諏訪さんと尾尻」)そちらが主眼なのだろうか。

尾尻の八幡神社を鶴疇山八幡宮といって、実は太岳院は亀王山太岳院というのだ。尾尻との関係を語るという面では、偶然とは思えず、何か含みがあるはずなのだが。少しニュアンスの違った異聞(「おじき」)でも、やはり尾尻の由来という話が最後に来る。

また、より単純には、沼が溢れる水害があった、というほどのことかもしれない。それを竜蛇の「抜け」とするさいに、人の女の助けがいる、という話が、武州飯能のほうに見える(「竜の山引き」)。ただ、それだと太岳院がどう関係するのかわからなくなる。