槇の屋のおぢ

東京都荒川区


榛木山の北、昔、御茶屋の渡しのあった辺を槇の屋の河岸といい、雑木林があって、「まきの屋のおぢ」と呼ばれる大おろちが棲んでいた。この主が通った跡は、草原の草が一尺巾に押しつぶされていたといはれる。朝早く市場へ野菜売りに出掛けた町屋の百姓衆が、荷を下し丸太に腰かけて一服していると、丸太が動く、よく見ると縦に動くので気丈の百姓も肝をつぶしたという話をよく聞いた。(倉島翁書留)

『新修 荒川区史 上巻』(荒川区役所)より

追記

現在は荒川と隅田川がくっつきそうになっている尾竹橋公園あたりのこととある。隅田川のほうがかつての荒川になる。話的にはそういう大蛇がいた、ということで、丸太と思ったら蛇だった、という枚挙にいとまないものだが、重要なのは、その大蛇が「おぢ」と呼ばれたことそのものだ。

越後のほうで大蛇を「おじ(叔父・弟の意)」と呼ぶことがあり(「鵜ノ子の主」など)、この流れが関東のほうにもあったのか、という可能性がある。対岸足立側の語り口では「おじん」とも書かれている(『足立百の語り伝え』「牧の野のおじん」・内容はほぼ同じ)。

さらに下って江戸川区のほうに入ってみると、同様の大蛇を「おんじ」とまた呼んでいる事例がある(「元橋のおんじ」)。ただ「おじ」というと大蛇・男蛇(おおじゃ・おじゃ)からかとも思えるが、「おんじ・おじん」であると離れてくるだろう。

ところで、「まきのや」という名は対岸足立区(今の千住緑町辺り)でも使われたようだが、そちらには大蛇の誕生としてその地の遊女の入水をいうものがある(「牧の野の大蛇」)。繋がる印象があるのかどうかわからないが、併せて見ておきたい。