龍と娘

原文:神奈川県秦野市


今泉部落の中ほどに太岳院と呼ばれるお寺があります。そのあたりは、大むかしの人達が住んでいた遺跡がそこここに見られます。いいかえれば三、四千年の歴史の足あとが残されているのです。人が住むということの必要な条件、それは水が豊富なことです。今もこの寺の前には、こんこんと清水が湧き出し、池をつくり、その昔の面影を残しています。

この池には、悲しい話が伝えられています。

池には、一ぴきの大きな龍が住んでいました。この龍は、人の話し声や歌声が大好きで、夜な夜な、岸辺に近寄って来ては聞き耳を立てていました。しかし、人に姿を見られることを恐れて、静かに水の中をはい回っていましたと。

池の近くに一軒の農家がありました。この家にはそれは身なりの美しいひとりの娘がいたそうです。どうしたわけか娘は口数が少なく、だれひとり友達もなく、ただただ村の若者の話題になるだけで、その美しさだけが日に日に増していきました。

そして、夜になると何かにひかれるように岸辺に立ち、月明かりに自分の影を池に落しては櫛づけ、美しい声を水面に流しました。この声につられて、龍は水音も立てず気づかれぬように聞きほれていましたと。

このような日々が過ぎ、娘は人目をしのんでは岸辺に立ち、うたいつづけました。

しかし、龍が歌に聞きほれ、しのびよることなど少しも気づきませんでしたと。

ところが或る夜のことです。どうしたはずみか、娘は足をすべらせ、着物をぬらしてしまいました。

龍はその水音におどろき、姿を水面に現わしてしまいましたと。

「見られてしまったおのが姿。」
そう思ったのか、龍は今までとはうって変わり、あらあらしく、娘のそばに近より、目と目をじっと合わせましたと。

小半時が過ぎ、龍はなおもじりじりと近づき、ぐっと背を向けたかと思うと、その一瞬、娘を背に乗せ、静々と沼の底に身をかくしてしまいました。

その夜も遅くなって、娘のいなくなったことに気づいた家の者は村人に頼み、四方八方を探しました。しかし、何の手がかりもありません。その時ひとりの若者が、
「いつだったか、あの池で娘の歌声を聞いたことがある。きっとあそこだ、そうだそうだ。」
と、言うが早いか、一目散に水辺の方へかけ出しました。続いて村人もたいまつをかかげかけ出しました。

たいまつの灯りに沼は赤く色どられ、村人の影もはっきりと浮かび上がり、のぞく顔の色までもわかりました。
「おーい。」
「あったぞ、あったぞ。いたぞ──。」
その声のする方にみんなかけよりました。
「どこだ、どこだ。」
見つめる沼は、さざ波ひとつなく青黒くくすんだ水の中にはんてんが沈んでいるように見えました。
「見ろよ、この中にきもんのようなもんがあんぞ。」
と、言いながら青竹でかきまぜてはみたものの、何の手応えもありません。
「ふしぎだなぁ……。」「たしかに見えたんだがなぁー。」
力ない声は、沼の中に消え入りました。

その時です。ふわふわっと浮かび上ったものがあります。それは娘がはいていた赤い花緒のぞうりの片方でした。

村人は、あまりの悲しさに、たがいに顔を見合わせたまま、だまりこんでしまいました。

やがて誰言うともなく
「落っこったんだ、やっぱり落っこったんだ。」
「死んでしまったんだよう。」
と、力なくなった声は、小さなこだまとなってあたりに散りました。
「美しい娘だったになあ。」……

岸にひきよせられたぞうりは、しずくをたらしながら胸に抱えられ、村人の涙と共に娘の家に運ばれました。

娘が沈んで数日がたちました。

青々と輝いていた空が、にわかに曇り、ものすごい稲妻とともに、大雨がどっと降り始めました。みるみるうちに岸辺の草も木も水の中に消えてしまいました。しかし、雨は止む気配もなく降り続きました。とうとう丘を越え、どっと室川に流れ込みました。

この時です。ものすごい水音とともに雷が落ち、龍が水面に立ち上がりました。どうでしょう。その背には、あの娘が乗り、ゆらゆらゆられながら室川の方に下っていきましたと。

こうして龍が下っていく時に、その尾がふれたところが、今の尾尻部落だと伝えられています。

南地区今泉 安本利正さん・中尾佐助さんの両名より伺いました。

『丹沢山麓 秦野の民話 上巻』岩田達治
(秦野市教育委員会)より

追記