権現さまへお使いに

神奈川県秦野市


御門の彌坂神社は天王さんともいうが、その裏手は崖になって下に川が流れている。ここを天王下といい、少しのぼると竜が淵というところもある。天王下は清水が湧くところで魚が多かったが、大きな蛇も仲良く住んでいた。この蛇が湧水の番人であったという。

また、この蛇は日照りが続き、清水に変化があると、東にそびえる権現山へのこのこお使いに出かける。山上の権現様に雨をお願いに上がるのだそうな。蛇がお使いに行くとすぐに雨が降り、蛇の通ったあとは、山頂まで草が両側になびいて残っていたという。(本町 天野博喜・榎本静男)

『丹沢山麓 秦野の民話 中巻』岩田達治
(秦野市教育委員会)より要約

追記

小地名御門(みかど)は、その名から将門が新都を想定したところだなどという伝説があるところだが、天王さん(今は八坂神社)があるからゆえの名だと思われる。その裏手は今は無論すっかり護岸整備されてはいるが、まだそこだけ薄暗い妙な雰囲気のあるところだ。

そこの清水の番人だった蛇が干天に雨乞いに行った、というのは面白い話だろう。藁蛇を担いで権現山を登る雨乞いがあったのじゃないかと思わせる。時折、そういう藁蛇の面影を彷彿とさせる蛇の話がある(「蛇塚」など)。

ちなみに権現さまというのは白山権現のこと。今は山上から南下に遷されて小さな白山神社となっている。山を挟んだ東向こうの龍法寺の管轄だが、そういえばさらに東になる厚木のほうでも白山が雨乞いの神となっている。

なお、この蛇のいたという天王下の淵には、また大鰻の主がいたともいい、その主が川普請で避けてくれるよう頼みに来る物食う魚型の話もある(「御門、天の下の美人」)。ここも、蛇と鰻の交錯する水場であった。