浅間さまのお通り

神奈川県三浦市


雨崎の池田では、凶事の年や日照りには、雨崎の井戸をかき回し、祈りを捧げた。日照りにはそれで必要な雨が降り、雨崎は神聖な地とされた。そして、雨崎には四斗樽ほども太さのある大蛇がおり、房総半島との間を泳いで行ったり来たりしていた。

その長さはどれほどあるのか見当もつかないほどで、五月雨のころは浅間様が雨崎を通るから迷惑にならないようにと、雨崎には近寄らなかった。そんなときに雨崎に行くと、大蛇のために熱病におかされ死んでしまうのだといった。

だから大蛇を目撃したという人はいないのだが、麦の穂が出るころに、田畑の作物や山の雑草が四斗樽ほどの幅にベッタリと倒されていることが多かった。大蛇は浅間様とも雨崎様ともいわれ、雨崎洞穴の山上に祀られている。四月三日が雨崎様の祀りで、人々は海に入って水を掛け合った。

『三浦半島の伝説』田辺悟
(横須賀書籍出版)より要約

追記

三浦市南下浦町金田の雨崎の岬の上に小さな祠があり、これが浅間祠であり雨崎様である。これにより大蛇が浅間様・雨崎様と呼ばれた。一般には雨崎様だが、梅雨の雨の時期(浅間参りの時期)に現れる大蛇を特に浅間さまといったということだろうか。

浅間さんが蛇だ、その使いが蛇だという話はままあるが(「浅間山の大蛇」など)、五月雨の時季の大蛇の名としていたというのは面白い。梅雨の時季に姿を見せる蛇を「ツユザエモン」と呼ぶような感覚なのだろうか。

また、上ではこの時季に大蛇に出くわすと障る、という風な書きぶりだが、他の感じでは、この時季の浅間さまの房総との行き来の邪魔をしてしまうと、という風でもある。松浦『三浦半島の史跡と伝説』によると、その行き来の先は浮ヶ島(勝山の浮島)のあたりであったという。

北に行った観音崎の大蛇などは行基菩薩に退治されてしまったが、村里の語る話ではこの雨崎の大蛇の雰囲気に近くなってはいた(「後家が崎」)。同じような房総半島との間を行き来する大蛇の話が周辺まだあるが、似たところ異なるところと見比べたい部分も多々ある。

なお、浅間さまの話と直接関係あるわけではないが、『三浦半島の伝説』の同稿に大蛇の正体のひとつではないかとして伊豆熱海の初島の話が紹介されている(「島に上陸した大蛇」)。確かに面白く、併せ見ておかれたい。