後家が崎

神奈川県横須賀市


神亀五年に行基菩薩が来て、土地の人を試そうと、何を育てているのかと聞いた。するとおばあさんが「冬なま草の夏枯れ草」だと答えた。これは麦のことで、その特性をうまく言い表した返答に、行基はこれはあなどれない村人たちだと改まり、何か困ることなどないかと尋ねた。

するとおばあさんは岬の穴にナガモノ(大蛇)がいて、自分の亭主も釣りに行ってそれをみてしまった、という。大蛇が夏が暑くて首を出し、ムコウジ(千葉県側)へ渡った。夜光虫が青白く光って波を切っていく様がものすごく、それを見た亭主は熱を出してなく亡くなったという。

そのような家が一軒二軒ではなく、多々あり、里は後家ばかりになり、岬をゴケガサキとかホトケザキと呼んだという。行基はそれを聞くと、十一面観音を彫って念を込めた。それで大蛇は封じられ、出なくなったそうな。

『新横須賀市史 別編 民俗』
(横須賀市)より要約

追記

観音崎の洞窟の大蛇の伝説はよく知られ、色々紹介されるが(「観音崎の船守観音」)、それが土地の人にはより身近な話として語られていた、という事例。題はない稿なので、独自に題をつけた。

類話では大蛇が古代の浦賀水道をいく船を襲ったという筋がよく語られるが、ここでは大蛇を見て病むという、里によく語られる話になっている。雨崎の大蛇の話(「浅間さまのお通り」)に非常に近い感じともいえる。

観音崎にも(行基伝説が出来上がる前に)、岬に大蛇がいて見ると障るという話がずっとあったのじゃないかと思われる。亭主がメバルを釣りに行って、などというのは大昔の話という感じではないだろう。

なお、冒頭の部分は西行法師が村人を歌で試し、見事に返されそこで引き返すという「西行の戻り松」の伝説で、藤沢市片瀬の方で「冬ほきて夏枯れ草を刈りに行く」と西行に返したという話があり、それが行基のこととして語られるものだ。おおむね境界の話といえるが、このように取り入れているのが面白い。