六社大明神

神奈川県逗子市


浦郷の浅間山下に古池(台池とも)があり、毒蛇が住み二十年余に渡って人を喰った。それで天応元年五月八日に郷司六十四人が出、蛇を退治した。中でも活躍したのが以下六人の勇士である。

一、古池大進信光
二、台池右京純光
三、岡本左馬正信氏
四、星谷刑部大輔
五、石渡光氏
六、池子将監大輔成孝

ところが、同年九月八日、毒蛇の七つの頭が現れ、この六人が一斉に死んでしまった。それでこの六人を祀ったのが六社大明神である。石渡光氏は将監ヶ谷の阿弥陀寺に石塔がある。

『改訂 逗子町誌』改訂逗子町誌刊行会
(逗子市)より要約

追記

池子将監の子孫と伝える家の明神縁起であるという。六社大明神は後、六所神社と祀られ、明治に合祀されて今はない。県立逗子高校の東端にテニスコートがあるが、その近くにあった大銀杏がお宮の入り口にあたったという(同逗子町誌)。阿弥陀寺も今はなく、東昌寺に移されたという。

「同年九月八日に其の體、七つの頭顯して六人に見て其の日七つ時に六人皆一同に死事」という、六人の勇士が一斉に死んだ場面の流れがよくわからないが、討った筈の七頭一身の毒蛇の頭が現れ六人を睨んだ、というようなことだろうか。

逗子には沼間のほうにより知られた七頭の大蛇の話があり(「沼間の七諏訪神社」)、前後の影響というのがあるのだろうか。沼間のほうは古い縁起には七頭とはない。

池子小学校北にあった擂鉢池あたりの池を浚ったときにでた頭骨は大蛇のものといわれたといい(「池から出てきた大蛇の頭骨」)、大蛇の棲む土地だという雰囲気は連綿としていたようだ。

なお、菊池幸彦『三浦半島の民話と伝説』に、上の話を(池子の大蛇討伐の話はそれとして、別に)浦郷のこととして、六社明神が横須賀市浦郷町の八王子社に合祀されたとする記事がある。登場人物も上の通りなのだが、どういう経緯でそういう話になったのかは不明。