千ノ川のおせん

神奈川県茅ヶ崎市


一本松の北に、本村から矢畑に通じる里道があって、小さな石橋がかかっていた。昔、甲村のおせんという少女が、乙村へ嫁に行くことになり、ほろ酔いでにぎやかな縁者たちの行列とともに、ここ川の畔に差し掛かった。

ところが、そこで新婦は不意に橋上から川に飛び込んでしまったのだ。あわやと驚いた人々が呼べど、水煙も消え、おせんの姿は見えなかった。これから、川の名を千ノ川と名付け、嫁女は忌んで決してこの橋を渡らなくなった。(『茅ヶ崎郷土史』昭和34年)

『茅ヶ崎の伝説』
郷土史研究グループ「あしかび」
(茅ヶ崎市教育委員会)より要約

追記

千ノ川(ちの川)はその先であるから茅ヶ崎というといわれるように、土地の名の由来ともなる川だが、そこにこのような一種の縁切り橋がある。共同体外のものを土地の神霊がはじくということを語ったものと思われる、花嫁行列が避ける橋は地域にたくさんある。

ここでこの話に注目したいのは、その嫁の名が「おせん」であるところだ。川崎市の有馬の影取池の主に呑まれた娘の名もまた「おせん」であった(「有馬の影取り池」)。武相の影取池の話は嫁入り行列が避ける道のひとつであった可能性がある。

それ以外でも「おせん」の名は竜蛇の主の淵に引かれる娘の名としてよく出るもので、その名があることで、話本来が竜蛇譚であったことを暗示する可能性がある(「千が窪の蛇」など)。千ノ川のおせんは、その川に飛び込んだ理由が語られていないが、主に見込まれたときにとる行動ではある。

茅ヶ崎市では西の松尾大神の森の話(「頭なしの森」)も、竜蛇が出てこないが、それを予感させる話だ。このあたりも並べて、注目しておきたい。