千が窪の蛇

群馬県渋川市


昔、熊沢川の上流の窪に、おせんという美しい娘が母と二人で暮らしていた。北山の蛇がおせんに懸想し、美男となって夜な夜な通ってきた。ところが、母がこれに嫉妬し、男の衣装に針を刺し込んだので、男は姿を見せなくなった。おせんは気が狂って死んでしまったという。

また、それで千が窪というようになったが、その南の沢に大蛇がおり、ある夏の大洪水の時岩穴から頭を出し、岩が崩れてはさまれ死んでしまったという話もある。

『渋川市誌 第四巻 民俗編』
渋川市市誌編さん委員会
(渋川市)より要約

追記

茂沢ダム周辺の話だと思うが、千が窪という名は見えない。資料上は、岩穴から頭を出して死んでしまった大蛇の話が先にあって、おせんの話が後にあるが、そもそもその二つの話の関係が不明なので、順不同とした。蛇抜けの話でありそうな南の沢の大蛇の話も興味を引くが、今は「おせん」の話としたい。

かの遠野の話にもあるが、どうも「おせん(お千・お仙など)」という名が、竜蛇伝説によく登場するのだ。昔話には、その名が登場することによって筋を暗示する定番の名前というのがあるように思うが、おせんもそのように見える。

上州では、多野の乙父のほうにまた「おせん」の話がある。千が窪のように、淵の主の大蛇に通われる娘・お仙の話だが(「お仙が淵」)、別伝では、そもそもお仙が大蛇であった、というものもある。椀貸し淵の話でもある。

椀貸し淵となると、その名「おせん」と「お膳」が掛かっていそうだ、と思わせる事例もある。野州粟野のほうだが、これはよく考えておく必要があるだろう(「オセン淵」)。

おせんそのものが蛇だったという筋としては、信州小県の武石のほうに、お仙をはじめとする三姉弟の大蛇の話がある(「お仙ヶ渕」)。これらの話は、そういうこととして了解したい何かがあった、という雰囲気が濃厚だ。

また、そのような定番の名であったとすると、竜蛇が出てこない「おせん」の話も、本来竜蛇譚だったのじゃないかと考える契機にはなる。相州茅ヶ崎の名の由来ともいう千ノ川(ちの川)にそのような例がある(「千ノ川のおせん」)。

さらにそれぞれの話からたどる類似例などもあるが、このように「おせん」が水淵の竜蛇にかかわる名である話というのが目につくのだ。どういった意味でそうなるのか現状はっきりしないが、これはそのうちに判明する事柄のような気がする。

ところで、今回はその点深入りしないが、蛇聟に針が刺される理由が、その正体を明らかにするためでなく、母が娘に嫉妬した故、となっているところは目を引く。これは世界的にみる嫉妬する姉たちに対応する役が母になっている話かもしれない。