名越の蛇ヶ谷

神奈川県鎌倉市


昔、この谷戸に一人の後家がおり、年若い男と暮らしていた。しかし、後家はこれを年甲斐のないことと悩むようになり、亡夫との間の二十歳になる娘を男とめあわせようとした。男は拒んだが、繰り返し説得され、娘と所帯を持つことになり、後家は別宅に一人住むことにした。

ところが、後家はやがて病の床に就くようになり、若夫婦が訪ねても布団に潜ったままであった。娘が心配でたまらずまた一人訳を尋ねると、母の後家はわが娘にも言えない恥ずかしく恐ろしいことになってしまったのだ、と語りだした。

後家は男を譲ったものの、若夫婦の仲睦まじさに嫉妬がやまず、夜その閨を覗くまでになってしまったのだ、と語り、布団に隠していたその手を出して見せた。すると親指は生きた蛇になっており、目を怒らせ娘を睨むのだった。

動転した娘は、そのまま寺に駆け込み尼となり、話を知った男も頭を丸めて出家した。後家もその業の深さを思い案じた末に、自らも尼となり、諸国巡礼の旅に出たという。それらの仏道修行の甲斐あってか、指の蛇は元に戻ったそうな。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より要約

追記

名越の蛇ヶ谷の話というが、名越切通しほど北でなく、材木座の光明寺の北側の谷戸が蛇ヶ谷なのだという。話は『発心集』五巻・三「母、女を妬み、手の指虵に成る事」そのもので、内容も土地で伝説化したというほどの変化もない。

まったく同じように、西御門にある蛇ヶ谷も、中世説話の蛇の話の舞台とされるのだが(「西御門の蛇ヶ谷」)、それぞれ原典には谷戸筋を特定するだけの記述はなく、なぜ各々の蛇ヶ谷が舞台ということになったのかははっきりとしない。

また、さらに扇ヶ谷にも蛇ヶ谷があり(「扇ヶ谷の蛇ヶ谷」)、鎌倉には三つも蛇ヶ谷がある、という話の一端でもある。しかし、これも地名の由来の話といえるのかというと、やはりはっきりとしない。