名越の蛇ヶ谷

原文:神奈川県鎌倉市


むかし、この谷戸に一人の後家さんが、かなり年下の若い男と暮していました。しかし、だんだん年を取っていくにつれ、若い男と一緒になっている自分が、年甲斐のないことをしているようで何となく気はずかしくなり、また男にもわるいような気さえして来るのでした。

この後家には死んだ夫との間に娘が一人あり、いまはその娘も二十才になっているのです。後家はあれっこれ思いわずらった揚句、自分はここで身を引いて、娘を男にめあわせた方が年齢ごろも似合いで、お互いの幸福になるだろうと考え、このことを男に話しました。男は、いまさらそんなことをいい出すとは水臭いじゃないか、たとえどれほど年齢が離れていようと、俺はちっともきにしてはいない。お前と別れて若い娘をもらうなどということはいやだ、といって承知しません。しかし、後家はそれからも度々くりかえし、このことを云い出しては頼むので、とうとう男も承知して後家のいう通りにすることにしました。

後家はこれで願いがかなったと、よろこんで、近くに小さい家を建てて、一人暮しをすることになりました。それでも若夫婦と後家とは、いつも行き来して面倒を見合い、仲よく暮していました。

それから二年ほど経ちました。その頃から後家は病気だと云って寝つくようになり、それまで毎日のように訪ねていた若夫婦のところへさっぱり来なくなってしまいました。若夫婦が案じて様子をたずねに行っても、いつも布団の中にもぐったままで、たいしたことはないから心配しないでおくれと、答えるばかりで、はっきりしたことを話しません。そんなことがつづいたある日のことです。娘は、どうも何か母が自分たちに隠していることがあるにちがいない。今日は自分一人で行って本当のことを聞いてみようと、男の留守を見はからって母の家へ行きました。

お母さん、ご病気はいかがですか。お薬はのんでいらっしゃいますか。いつお尋ねしてもたいしたことはないとばかりで、一向に詳しい容態を云って下さいませんが、それだけに私たちは心配でなりません。どうか隠さずに云って下さい。と心をこめて問いかけました。

これを聞くと、後家はハラハラと涙をこぼし、我が子のお前にも話せないほど恥かしい、恐ろしいことになってしまったのだよ。それも元はといえば、みんな自分から招いたことなので誰のせいでもない。私はお前とあの男を無理やり一緒にさせた。それは自分が云い出したのだし、その時はそれで満足もしたし、安心もした。それだのに月日がたつにつれ、お前たち夫婦がむつまじくしているのを見るにつけ妬ましくてならなくなって来た。そしてしまいには、夜毎にそっとお前たちの閨をうかがうことさえするようになってしまった。おさえてもおさえても嫉妬の心は燃えあがるばかりで、私はほんとうに気が狂うのではないかと思ったほどだ。きっと私のそうした醜い、恐ろしい気持が形になって現われたのにちがいない。見てごらん、私の両手はこんなになってしまったのだよ。といつも布団の中に隠していた両手を出して見せました。娘は一と目見るなりキヤッと云って顔をおおいました。後家の両手の親指が生きた蛇になり、眼を怒らし、舌を吐いて娘をにらんでいるではありませんか。

娘は泣きながら、私がいなければこんなことにならなかったでしょうと、そのまま家を飛び出し、寺にかけこんで尼になってしまいました。

やがて帰って来た男も、そのことを知るとこれもまた頭を丸めて出家しました。後家もつくづく自分の業の深さを思い案じた末に、若い二人の後を追って尼となり、諸国を巡礼してまわりました。その功徳の現われでしょうか、蛇になった親指は、元にもどったということです。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より

追記